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2014年9月10日 (水)

霊魂の哲学と科学(その56)

霊魂の哲学と科学(その56)

第7章 怨霊と御霊信仰(2)

8、モーリス・ゴドリエは、供犠とは破壊する行為であり、狩猟採集には存在しないというモースの考えを推し進める。

『人間による神々への贈与は、寄進行為と奉納されたモノの破壊によって実現される。人身御供を捧げ、香の香り、生け贄の煙を神々に贈り、場合によっては生け贄の肉を食べる。供犠するとは、供えたものを破壊することであり、その点においては、供犠は一種のポトラッチであり、贈与の経済と精神を「至高に至らす」。これは神と霊との贈与の実績と、供犠による契約の関連に他ならない。』

9、ここでゴドリエは、供犠が存在する社会とは恐怖と権力に基づいた社会であるという。

『供犠は普遍的なものではない。なぜなら、供犠を必要としない狩猟採集の宗教も存在するからである。彼らにとって、動物と人間の優位の差はあまり存在しない。供犠の宗教とは、神々が全能で、人間を支配し、恐怖を与える宗教なのである。供犠が存在するためには、犠牲が必要であり、この犠牲はしばしば隷属する人間か、動物(特に家畜)である。
古代ギリシャでは、牛の供犠に対して論争がなされたし、ピタゴラス教団の人びとは供犠の肉を食するのを拒否したではないか。』(モーリス・ゴドリエ「贈与の謎」法政大学出版局、2000年 )

10、日本に人身御供が古くから行われていたことは明らかであって、有名なスサノオが大蛇を退治されたのも、かの地方に蛇のごとき邪神に人身御供を捧げた習慣があったのを、スサノオが打破した形跡を神話によって記している。仁徳帝の頃に、二人が河の神に生け贄にされたことが日本書紀には記録されているし、今昔物語には、処女の人身御供が喜ばれていることが記されている。駿河には生贄川という名の川があり、ある人が犠牲になった可能性がある。このような事実は日本の習慣としてあったのである。
(注: 森浩一の『倭人伝の世界』によれば、 猪は、縄文時代から人間が飼育することもあったという。それはもっぱら山の神の祭の贄とするために幼い猪を捕獲して飼育したらしい。塩尻にもあるが、私の山小屋のある秩父市荒川にも贄川(にえかわ)という地名がある。多分、山の神に猪を生け贄として捧げた風習からそういう地名となったのだと思う。)

11、柳田国男は「掛神の信仰について」(1911年)の中で次のように述べている。

『鳥獣を神に供える神事は、肉を忌み、血を穢れとする以前よりあったもので、由緒ある神社でも行っている。(略)古語拾遺(こごしゅうい)に、大歳神を祭るに、白馬、白猪、白鶏を用いるなどと書かれていることと同様である。生け贄は生きたままにて奉る贄にて、食物の新鮮を保障する誠意から出ているのである。伊勢の皇大神宮の御物にも生け贄のあることは儀式帳に見える。』

12、加藤玄智は「仏教史学第1編8号」で次のようにいっている。

『三河のうなたり神社の風祭りにおいては、昔は女子を犠牲にしていたが、のちにこれを猪、もしくは雀の犠牲に代えたことなどは、明らかに人身御供に代わる動物をもってした例である。一遍上人が神託と講して、鹿の犠牲をやめさせたりしたのも明らかに仏教の慈悲の思想が動物の供犠を否定した実例である。筑前の宗像神社などは、もとは獣や魚を供えていたが、のちにこの神に菩薩号を授けて漁猟の祭りまでやめさせてしまった。ハーンが「神国」の中で逝っているように、七月盆の精霊祭りに茄子や生瓜で馬や牛の形をこしらえて供えているような儀礼も動物の犠牲の代用である。日本の古代宗教は儒教と仏教が感化していった。人間の犠牲が動物にかえられ、動物が植物に代えられていったことは明瞭なのである。』

13、高木敏雄は「人身御供論(序論)」(1913年)で、「人身御供のモチーフは日本の民間伝説、童話においては、主たるものの一つであり、早太郎童話も邪神退治伝説の系統に属するものである。」と言っている。

14、柳田国男は人を神に祀る風習のもっとも顕著な例が八幡信仰であったことを明らかにした(柳田国男「人を神に祀る風習」1926年)。八幡に祀られた数は戦国時代がもっとも多く、多くの勇士が殺され、憤り、祟りをなしたが故に、神として祀られたのだという。しかし、これらの神は常に八幡と呼ばれたのではなく、天神、大明神、若宮、今宮、御霊とも呼ばれた。(中略)宗教者の言葉は、時代に即した絶対的なものであったという事実。宗教者の言葉が絶対であった故に権力と結びつき、極めて政治性を含んだものとなっていった歴史が、死者を神に祀り上げる風習の背後に潜んでいたのだという。

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