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2014年9月19日 (金)

霊魂の哲学と科学(その65)

霊魂の哲学と科学(その65)
第8章 「神」はどこに存在するのか?(5)

第3節 ゲーテの戯曲「ファースト」より

ゲーテの戯曲「ファースト」は「天上の序曲」から始まる。
主。ついでメフィストフェレス。

三人の大天使、進み出る。
大天使ラファエル:太陽はあいかわらず輝きながら兄弟星と歌を競い合っている。雷鳴をおともに定められた天空を走り終えた。それを見るにつけ天使たちは活気づく。何故そうなるのかはわからない。はかり知れない業(わざ)ごとに、天地が生まれた最初の日のように神々しい。
大天使ガブリエル:おそろしい速さで大地がにぎやかに旋回している。楽園のような明るさ、つぎには奈落のように深い闇だ。海は太い流れをつくって泡立ち、大岩にぶつかって波がくだける。その岩も海もひっさらって、星辰(せいしん)はまわりつづける。
大天使ミカエル:海から陸(おか)、陸から海へと嵐が吹きすさんでいる。猛り立ち、もつれ、ねじれ合って、そこへ稲妻が走り込み、劫火(ごうか)が燃え、そのあとから雷鳴がとどろいた。主よ、あなたのお使いは、おだやかな一日のうつりゆきを触れていたが、これがそうか。
三天使:天使は活気づくが、主の御業(みわざ)はわからない。まるで最初の日のように神々しい。
メフィストフェレス:これはこれは、ご主人さま、わざわざお出ましくださって、しもじものことをあたずねになる。いつもこころよく会っていただける。それでつい、召使いめにまじりこみました。はい、ごめんください。上品ぶった言葉が苦手でして、まわりからも、とやこういわれます。こちらが燃え立ちなどすればお笑いだ。笑いをお忘れではありますまいね。太陽や世界のことはなんにも知りませんが、人間の悶(もだ)えようならよく知っている。この星のちっぽけな神さまたちときたら、いつも妙ちきりんでして、天地開闢(かいびゃく)以来、さっぱり変わりばえいたしませんな。:あなたさまが天の光な
どをおすそわけなさらなければ、もちっとはましな生き方もできたでしょう。人間というやつ、それを理性だと称して、実のところは獣も顔をそむけるようなことに精をだしている。失礼ながら申し上げますが、あのやからは脚の長いバッタ野郎で、跳んだりはねたりしたあげく、草にかくれて古くさい歌をがなっています。それならずっと草のなかにいればいいものを、すぐまたしゃしゃり出て、つまらぬことに鼻をつっこむ。
主:いいたいのは、それだけか。いつも苦情を申し立てる。地上のことが、おまえには何であれ気に入らない。
メフィスト:気に入りませんとも!まったくもってほどい話だ。あいもかわらず悶えずくめの人間を見ると、つい哀れをもよおしますね。

主:ファーストを知っているか?
メフィスト:あの学者先生ですか。
主:わたしの下僕だ。
メフィスト:それにしても仕え方が風変わりだ。あのへんくつ者の飲み物、食べ物ときては、地上のものじゃない。わき立つ胸は、ただ遠くへ恋こがれ、自分でも愚かさかげんには半分がたは気がついています。天の星から、いちばんきれいなのをとりたがり、地上では最高のよろこびをあまさず欲しい。近いのも遠いのも、あの高ぶった胸には収まりがつかない。
主:当人も往き迷って、どうにもならない。ついては何とかしてやりたいと思っているところでね。木が芽吹けば、いずれ花が咲く、実がむすぶ。庭師はそっくりお見通しだ。
メフィスト:ひとつ、賭けますか。こいつはいただいた。お許し願って、手もとにまんまとたぐりこんでみせましょう。
主:あやつが地上にいるあいだ、そうしたければするがいい。思いが迷うもの、それが人間だ。
メフィスト:ありがたい。死人相手はおもしろくない。ふっくらした色つやの頬(ほっ)ぺたがいい。死体などは願い下げだ。猫がネズミをいたぶるようにやるとしましょう。
主:よし、まかせた!あやつの心を根っこからもぎとって、好きなように引き回すがいい。赤恥をかくな。良い人間は暗い衝動に駆られても、正しい道をそれなりに行くものだと、ぼやきにこないかな。
メフィスト:引き受けた!手間はかからない。賭けはいただきだ。まんまとしとめたら、心から凱歌(がいか)をあげさしていただきますぜ。あやつにちり芥(あくた)を食わして見せよう。身内の蛇はリンゴを食わせたが、あの手でやっつける。
主:なんなりと、いいにくるがいい。おまえたちは楽しい連中だ。天邪鬼(あまのじゃく)ぞろいだが、いたずら連中は手がかからない。人間は何をするにせよ、すぐに飽きて休みたがる。だからこそ仲間をつけてやろう。あれこれ手出しをして引き回す悪魔が相棒だ。そちらの天使たち、おまえたちは神の子だから、このゆたかな、いきいきとした美の世界を楽しむがいい。永遠に働きかける力があって、おまえたちをやさしい愛の囲いで守ってくれる。揺れながらやってくる者たちを、しっかり迎えてやれ!
(天が閉じる。大天使たちが去っていく)
メフィスト:(ひとりのこって)
ということで、メフィストとファーストの関わり合いの劇が始まるのだが、この最初の幕「天上の序曲」で最後の結末が暗示されている。最終幕の「山峡、森、岩」で、ファーストは死に至るのだが、主(最高の神)が天使たちに「 揺れながらやってくる者たちを、しっかり迎えてやれ!」と言った通り、ファーストの霊魂は天使たちに導かれて天に昇っていく。メフィストは、結局、賭けに負けたのだ。メフィストは「賭けはいただきだ」と言っていたのだが、主(最高の神)が「良い人間は暗い衝動に駆られても、正しい道をそれなりに行くものだ」と言っていた通りにファーストは正しい人生を歩んだので、メフィストは賭けに負けたのである。メフィストは、 天邪鬼(あまのじゃく)の仲間であり、いたずら好きなので、主(最高の神)は最終的な結末を見通しながらメフィストに対し「いたずら」を仕掛けたのだと思う。

ここで注目してもらいたいのは、メフィスト、はましな悪魔であって、神の国に入ることを許されており、 主(最高の神)とも話ができる存在であるということだ。

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