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2014年9月11日 (木)

霊魂の哲学と科学(その57)

霊魂の哲学と科学(その57)

第7章 怨霊と御霊信仰(3)

15、1987年、ローチェスター大学で開催されたルイス・モーガン記念講演でモリス・ブロックは儀礼に対する一般的見解に対する再検討を促した。ブロックが自分の儀礼理論に自信を持っていたことは疑いなく、確固とした証明をするために、西洋の人類学者ができるだけ避けてきた日本の宗教に言及している。この記念講演の3年前にわずか数ヶ月ではあるが来日して、現地調査を行ったからだ。ブロックが興味をもったのは、神道と仏教が絡み合って創出される「力」の転換作用であり、日本の祭りの中に潜む若者の身体を媒体とするエネルギーの氾濫であった。そこで、供犠のない文化と言われる日本文化に
供犠と政治権力の構造的歴史をブロックは見たのである。この研究は1992年に「生け贄から狩猟者へ・・・宗教経験の政治学」と題され、ケンブリッジ大学出版から刊行される。ブロック理論について、ブルース・カップラーは次のように述べている。

『ブロックはジラールに対する人類学者たちの批判を踏まえ、ジラールの暴力の解釈が如何に現実の事例に相応しないかを論破する。供犠のもつ暴力は社会的調和などではなく、共同体の「力」を拡大せしめる力であり、暴力は力であり供犠の力は更なる力を与えることにあると主張する。ブロックにとって、儀礼における破壊は生成の暴力である。力と暴力は一つであり、共に生成していく。このように見ると、ブロックの理論は奥深いところでデュルケイムとモースの供犠論を確証しているように見える。「生贄から狩猟者へ」は多様化された暴力と権力の関係において提出された問題を儀礼の転倒性を通して検討した
ものであり、朝夕で立ち上げられたものではなく、理論的は、これは人類学の入門テキストではなく、政治、経済と幅広い学問の領域を駆使して供犠の深部に密着したものを探り出そうという作業なのである。そして、何よりもブロックが読者に求めたことは言説への再考であり、この理論がさらに他学者によって推敲されることであった。』

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