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2014年9月21日 (日)

霊魂の哲学と科学(その67)

霊魂の哲学と科学(その67)
おわりに(1)

原爆ドームは、あまり知られていないが、私達・・・建設省(中国地方建設局)の庁舎であった。そんなことで、毎年8月6日には、建設省中国建設局長が主催して、原爆ドームの下で、誠にささやかだが内々の原爆慰霊祭を行なっている。
私も、平成元年から平成4年まであしかけ4年、丸3年間、中国地方建設局長をやっていたので、原爆慰霊祭をやってきた。御遺族やら当時の職員に御出席願い、亡くなった方の霊を弔うとともに平和を祈るわけである。平和の国づくり、・・・・・国土建設という立場から平和の国づくりに尽くすことを誓うわけだ。そういったことで、私は、国土建設という立場から平和ということについて、どうしても真剣に考えざるを得ないのである。平和の哲学とは?・・・・そして、そういった平和の哲学に則った国土建設とはどんなものなのか?・・・・平和の哲学に則った地域づくりはどう進 めていけばいいか?・・・・そんなことをいろいろと考えさせられてきた。

歴史上いちばん平和な時代になったのか? その秘密は,どうも御霊神社がそうであるように,「祈り」にあるようだと気がつきながら,私は、これから私の哲学の勉強をどう進めていけば良いのか,はたと困ってしまった。「平安遷都を訪ねて」という「怨霊,妖怪,天狗」を訪ねる私の旅は,そのとき、山寺(立石寺)の慈覚大師まで辿り着いていたのだが、それから先どういう旅すれば良いのか勉強の目標を見失ったのである。その後、中沢新一の勉強やら徳一と明恵の勉強やら、やみくもに平和に関係のありそうな勉強をして、上述の通り一連の電子書籍を書いたのだが、そこに怨霊や霊に関するものが含まれてはいるけれど、その本質的なものへの突っ込みが足らなかった。今回の「霊の科学」はその不足部分を補うものである。すなわち、かって勉強した「妖怪」を勉強し直し、妖怪と天狗や鬼との違いなどを明らかにしながら、人間の「霊魂」についての思索を深め、御霊信仰の本質を明らかにするとともに、プラトンの霊魂論とはひと味違う私の霊魂論を展開した。その結果、一応、「平和の原理」を明らかにすることができたと思う。しかし、実は、第6章に述べたように、「山の霊魂」についてはほとんど触れていない。「山の霊魂」のことを書かずして私の霊魂論は完結しない。いずれ機会を見て「山の霊魂」について書きたいと思うが、この本では、一応、所期の目的どおり、「平和国家」の諸条件を、明らかにすることができたのではないかと思う。

「平和の原理」をしっかり認識するためには、「祈り」の他に、「呪術」というものが必要である。「呪術」によって
・・・、「怨霊」も「御霊(神)」に変身することができる。

日本の国是は、平和国家となることである。だとすれば、靖国神社に祀られた英霊及び怨霊は、神(御霊)に変身しなければならない。靖国神社の英霊及び怨霊が神(御霊)に変身するためには、それなりの儀式が必要である。その儀式は怨霊を御霊化するための呪術に支えられたものであろう。 それには日本におけるあらゆる宗教の参加が必要だが、問題は現在の靖国神社側にその度量が必要であるということだ。しかし、靖国神社側の大きな寛容の精神 によって宗教上の知恵を総動員することができるならば、靖国神社は世界の冠たる御霊神社に生まれ変わって、日本は真に平和国家となるだろう。平和国家、それは専守防衛に徹するということであって、もし日本がどこかの国から攻められたときには、狼が死ぬ覚悟で相手の喉頸を食いちぎるように、日本国は相手国を 完膚なきまで叩きのめさければならない。それが尊厳ある国の生き方だ。プラトンの「正義」ある国家とはそのような国家をいうのであろう。

桜井 邦朋(さくらい くにとも)という大先生がおられる。桜井邦朋(1933年5月27日生まれ、京都大学理学部卒業、神奈川大学名誉教授。 )は日本の代表的な宇宙物理学者。太陽物理学、高エネルギー宇宙物理学の世界的な権威であり、現在、早稲田大学理工学部総合研究センター客員顧問研究員とユトレヒト大学、インド・ターター基礎科学研究所、中国科学院の客員教授を努めている、まさに日本が誇る世界的学者である。その大先生が、「宇宙には意志がある」という本(2001年6月、徳間書店)を出しておられる。
その本の中で先生は次のように言っておられる。すなわち、
『 ここで、私は一つの仮説を読者に提示したいと思う。それは「人類の誕生は、宇宙の進化から必然的に生み出された結果なのではないか」ということである。すなわち、この宇宙は私たち人間を誕生させるために存在しているのではないか、ということである。私たちは、たまたま地球上に生まれたのではなく、宇宙そのものが私たちを必要としているから、知性を持った人類を生み出したのだ、ということだ。もちろん、読者の中には「そんな馬鹿な」と思う人も多いだろう。確かに常識から考えれば、「人類を生むために、宇宙が作られた」というのは、暴論に属する話かもしれない。(中略)しかし、最新の物理学の成果から考えると、このような推定はけっして暴論とはいえないのである。この「宇宙は人間を生み出すためにある」という考え方を、現代物理学では「宇宙の人間原理」と呼ぶ。最初にこれを提唱したのは、アメリカのロバート・ディッキーという宇宙論学者であった。もちろん「宇宙の人間原理」は、あくまで仮説である。この考え方に対して反対意見を唱える人もいる。しかし、この原理は単なる思いつきで作られたアイディアではない。物理学の最新知見をもとに言われていることなのだ。』
『 ケンブリッジ大学のスティーブン・ホーキングも、現在、私たちが見ている宇宙は「神」のような、何らかの手によって作られた設計図にしたがって作り出されたのだという趣旨のことを言っている。物理学に「神」とか「創造主」という言葉を持ち込むのはきわめて危険なことであるのは言うまでもない。しかし、現実の物理学の歴史を見ていくと、今や私たちは「創造主」の領域に迫りつつあるというのも、事実であろう。この宇宙を理解していこうとする人間の努力は、宇宙創成の瞬間をも解き明かそうとしている。また、一方では生命進化の秘密も、徐々に明らかになりつつある。36億年前に地球上に誕生した生命は、今や「神のみわざ」を理解しようというところまできているのである。』・・・と。

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