« 霊魂の哲学と科学(その41) | トップページ | 霊魂の哲学と科学(その43) »

2014年8月26日 (火)

霊魂の哲学と科学(その42)

霊魂の哲学と科学(その42)
第6章 霊魂の科学(10)
第5節 私の霊魂論(3)

3、霊魂論:プラトンと私の違い(1)

プラトンの霊魂論は人が死んだときに霊魂が身体から離脱して天に昇っていくというものだが、これでは生霊が説明できない。生霊なんてそんなものは存在しないと言ってしまえば、それまでのことであるが、上述のように、日本では、生霊はさまざまな形で語られてきており、私は生霊は存在するのだと思う。だったら、プラトンの霊魂論は修正されなければならない。また、ホワイトヘッドの活動的存在というのは、「死」とはまったく関係のない形而上学的思考から思いついたもので、霊魂はその活動存在のひとつである。したがって、ホワイトヘッドの哲学では、霊魂は死とは関係なく関係なく存在するということになる。

私は、プラトンの壮大な哲学を基礎として、その後の注釈的な哲学で必要な修正を行って、少しずつではあるが、逐次、新たな哲学を構築していく哲学者の努力が求められる。私は、哲学者ではないけれど、哲学者に向かって、或いは哲学を愛好する人に向かって、はたまた国のリーダーであるべき政治家に向かって、新たな哲学の課題を気のついた範囲で申し述べているのである。霊魂論というのは極めて大事である。政治と深く繋がってい
る。だからプラトンは霊魂論を論じたのだが、私もまったく同じ感覚で、もちろんプラトンを勉強する過程でそういう感覚になったのだが、正義ある政治が行われ、この日本という国が正義ある国なるために、私の霊魂論を申し述べているのである。私の考えでは、私の霊魂論の立場に立たないと、日本は、靖国神社の問題を解決することはできないし、世界に認められた世界に冠たる平和国家になることは到底できない。私の霊魂論が哲学者や哲学愛好家や政治家や、そして多くの国民に理解されるようになれば、日本は世界に冠たる平和国家になることができる。ことほどさように霊魂論というのは大事なのである。

また、私の霊魂論の立場に立たないと、次に記す「100匹目の猿現象」などの科学的事実「脳と波動の法則・・宇宙との共鳴が意識を創る」(浜野恵一、1997年3月,PHP研究所)が説明できない。以下、その説明をしておきたい。

(1)「100匹目の猿現象」

 宮崎県の南部の海上に幸島(こうじま)という無人島がある。そこには数十匹の野生の日本猿が,以前から生息していた。独創的な「棲み分け理論に基づく今西進化論」で世界
的に著名な生物学者,今西錦司京都大学教授が主宰する同大学の動物学教室では,1952年にこの幸島の野生猿の生態研究のために,餌付けを開始した。このフィールドワークには今西教授の門下生である徳田喜三郎,伊谷純一郎両博士が責任者となり,京都大学の動物教室の若い研究者たちがそれに従事した。
 幸島に生息する野生の猿に,研究者たちがこれまでの猿たちの食物であった植物の芽や,つぼみ、果実といった自然のものに替えて,新しく餌付けのためのサツマイモを与え始めた。最初に専従者たちが予想していたより容易に,このサツマイモの餌付けは成功した。この島の野生猿たちは,意外とこのサツマイモを気に入ったようであった。しかし、これらのサツマイモには、砂や泥が付いて汚れたものがかなりあったので、猿たちはそれらを嫌って残すことがあった。
 そのような状況下である日突然,群れの中の生後18ヶ月の若い雌猿が,そのイモを海辺に持っていき,海水に浸けて洗って食べることを思いついた。塩味が付いたイモは、若い雌猿にとってこれまでにない美味なものであったろう。しかも海水に浸けることで、砂や泥の汚れも取れるという利点がある。早速この雌猿は、母親にイモを洗うことを教えた。やがてその食習慣は他の猿にも、非常にゆっくり伝播していった。ここまではごく当たり前の現象である。私たちの社会の中にも見られるように、新しい習慣を頑なに拒絶する猿もいたのである。現在では「100匹目の猿効果」といわれている、奇妙な現象が生
じたのは、サツマイモの餌になって6年目のことであった。この100匹目の猿の加入によって、あたかも臨界量を突破したかのように、その日の夕食時にはほとんど全部の猿が、イモを洗って食べるようになったのである。さらに、もっと驚くべきことが同時に起った。海を隔てられている別の無人島の野生猿のコロニーにも、本州の高崎山のコロニーにも、このサツマイモを洗う食習慣が自然発生したのである。後にこれは「100匹目の猿効果」と呼ばれるようになり、いまでは猿以外のものにも、同様な現象例の認められることが、他の科学者によって指摘されている。

(2) シュガーとパーキンスの鳩の誠に不思議な話

 鳩、鮭、鰻、蜂や渡り鳥など多くの動物には帰巣本能がある。誠に不思議だと言わざるを得ない。帰巣本能は一般に、動物が住み慣れた巣の方向を感知するために、太陽や星の位置と高さ、地球磁場、風の超低周波音の波形といった種々の手がかりを利用して、帰巣する能力のことであるが、そもそも何をどう感知するのか?そりゃあ~動物によって感知するものが違うのさ・・・という説明では、そこで思考停止になっていて、とても科学的な説明とは言えない。私は、納得のいく科学的説明を未だ聞いたことがない。皆さんも是非ネットで調べてみて下さい。ウィキペディアにもまだ書いてないし、他に納得のいく科学的説明を見ることはできないだろう。今私が勉強しようとしているのは、思考停止のままになっている帰巣本能に関する科学的説明に風穴を開けることだ。それにはまず「脳と波動の法則・・宇宙との共鳴が意識を創る」(1997年3月,PHP研究所)という浜野恵一の著書を勉強するところから始めなければならない。浜野恵一のこの著書には、帰巣本能ということでは絶対に説明でない、先の「100匹目の猿現象」のほか、有名な二つの科学的事実が記述されているので、まずそれをここに紹介しておきたい。

 一つは、「ロッキー山脈を越えて主人を探し当てた猫」の例(その猫の名はシュガーというので、以下においてシュガーの例と呼ぶ)である。二つ目は、それと同様な鳩の例(その鳩はパーキンスという少年が飼っていた伝書鳩であるので、以下においてパーキンスの鳩の例と呼ぶ)である。

 シュガーの例はこうである。
 カリフォルニア州に住んでいたシュガーの飼い主は、都合で2400キロ離れたオクラホマ州に移転することになった。2400キロというと、概算で北海道の稚内から、青

森、東京を経て鹿児島まで、直線で結んで2400キロであるから、それ以上ということになる。飼い主は隣人にシュガーの飼育を依頼して、1951年6月にオクラホマへ転宅して行った。シュガーは隣人宅に半月ほど飼育されていたが、ある日突然いなくなった。
 それから一年と四ヶ月経った1952年の八月のある朝、オクラホマの引っ越し先で、シュガーのもとの飼い主が乳牛の搾乳をしていたとき、見る影もなく痩せ衰えて、薄汚れたペルシャ猫が入ってきて、搾乳中の自分に身体をすり寄せ喉を鳴らすのを見てシュガーだと分からなかった。しかしよく見ると毛色は汚れているがクリーム色で,仔猫の時右の後足を骨折し,ひとめで分かる後足の歪みがシュガーにはあったが,その猫の後足にまさにその痕跡が認められたのである。

 元の飼い主は「シュガーだ!」と叫んで,妻に知らせた。カリフォルニアからオクラホマまでの2400キロというとてつもない道程を,シュガーは踏破して元の飼い主を探し当てたのである。しかもこの道程には,アメリカで最高峰のロッキー山脈が横たわっており,砂漠も存在する。それらの難所を乗り越えてシュガーは,主人の元に帰ってきたのである。
 なお、シュガーと同じような出来事が最近もあった。 AP通信によると、「米西部コロラド州で約5年前、飼い主の家から姿を消した雌の三毛猫ウィローが2011年14日、約2600キロ東のニューヨーク市内で発見された。体内に埋め込まれたマイクロチップが識別の決め手だったが、どのようにしてニューヨークに移動したのか、どんな生活を送っていたのかなどは謎に包まれたままだ。」

 パーキンスの鳩の例はこうである。
 1939年のことである。その年の冬,12歳のパーキンス少年は自宅のサマーズヴィルから112キロ離れた,ウェストヴァージニア州にあるマイヤーズ記念病院に入院中であった。そのことが起ったのは,少年が手術を受け,術後の療養中のある吹雪の夜であった。病室の窓に吹き付ける風や雪に混じって,何か物がぶつかるような音を,その少年は聴いたような気がした。パーキンスは術後のため,ベッドから降りて窓の外を調べることができなかったので,看護婦を呼んで調べさせることにした。看護婦が病室の窓の傍に行って外を透かしてみると,夜陰の中で一羽の鳩が病室には入ろうとして,その窓に体当たりをしていることが分かった。少年はハッと気付くことがあって、看護婦に窓を開けさせた。するとすぐに一羽の鳩が少年の病室に飛び込んできた。
 パーキンスは看護婦に叫んだ。「その鳩をつかまえて、鳩の脚に輪がはめてあるか調べて!はめてあったらその番号を読んでみて』。
 その番号は「AU39C&W167」であった。その鳩は,可愛がってペットにしていた鳩であった。鳩は少年が病院に入院して数日後,自宅から姿を消したのである。シュガーほどではないが,112キロといえば相当な距離である。私が住んでいる岡山を基点にして考えれば,鳥取ぐらいの距離がある。一体どのようにしてこの鳩にしてもシュガーにしても,飼い主の居所が分かったのであろうか。

(3)ブラシーボ効果では説明のつかない医学的事実

 村上和雄の著書「人は何のために<祈る>のか」(2010年12月,詳伝社)によれば、「祈り」についても同様のことがあり,それは医学的事実として認められる。しかし、医学的事実として、ブラシーボ効果では説明のつかないことがあるという。上記著書から,その部分を紹介しておく。すなわち、
『 最近、アメリカの病院で,大変興味ある実験が行われました。新病患者393人による実験で,他人に祈られた患者はそうでない患者よりも人工呼吸器,抗生物質,透析の使用率が少ないということがわかりました。しかも、西海岸にあるこの病院に近いグループからの祈りも,遠く離れた東海岸側からの祈りも,同様に効果がありました。そして、これらの患者は祈られていることすら知らなかったのです。距離を超えて,他の人のために祈ることが有効だとすると,この祈りは単なるブラシーボ効果では説明がつきません。』・・・と。

« 霊魂の哲学と科学(その41) | トップページ | 霊魂の哲学と科学(その43) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/57188778

この記事へのトラックバック一覧です: 霊魂の哲学と科学(その42):

« 霊魂の哲学と科学(その41) | トップページ | 霊魂の哲学と科学(その43) »