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2014年8月16日 (土)

霊魂の哲学と科学(その32)

霊魂の哲学と科学(その32)
第5章 霊魂の哲学について(25)
第7節 活動存在としてのさまざまな神(5)

4、八百万の神

自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、欧米の辞書にはShintoとして紹介されている。日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考 えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。八百万とは無限に近い神がいることを表しており、数ある多神教の中でも、数が多い考え方であ ると言える。 またこういった性格から、特定能力が著しく秀でた、もしくは特定分野で認められた人物への敬称として「神」が使われることがある。
神道における神(かみ)とは、信仰や畏怖の対象である。神道の神々は人と同じような姿や人格を有する「人格神」であり、現世の人間に恩恵を与える「守護神」であるが、祟る性格も持っている。この点は、プラトンの認識とは異なるし、私の霊魂論で縷々述べてきたように、「祟り」は悪魔の仕業であって、神はけっして祟らない。しかし、日本人の伝統的な認識では「荒ぶる神」が存在する。日本では、祟るからこそ、神は畏れられたのである。神道の神は、この「祟り」と密接な関係にある。

(1)自然物や自然現象を神格化した神
この中で最も古いのは 自然物や自然現象を神格化した神である。古代の日本人は、山、川、巨石、巨木、動物、植物などといった自然物、火、雨、風、雷などといった自然現象の中に、神々しい「何か」を感じ取った。この感覚は今日でも神道の根本として残るものであり、小泉八雲は これを「神道の感覚」と呼んでいる。自然は人々に恩恵をもたらすとともに、時には人に危害を及ぼす。古代人はこれを神々しい「何か」の怒り(祟り)と考え、怒りを鎮め、恵みを与えてくれるよう願い、それを崇敬するようになった。これが後に「カミ(神)」と呼ばれるようになる。

(2)古代の指導者・有力者の神格化
日本において天皇のことを戦前・戦中は現人神と呼び、神道上の概念としてだけでなく、政治上においても神とされていたことが挙げられる。現在では、昭和天皇によるいわゆる人間宣言により政治との関わり、国民との関係は変わった。だが、神道においては天照大御神の血を引くとされる天皇の存在は現在も大きな位置を占め、信仰活動の頂点として位置付けられている。
また、その時代の有力者を死後に神として祭る例(豊臣秀吉=豊国大明神、徳川家康=東照大権現など)や、権力闘争に敗れまた逆賊として処刑された者を、後世において「怒りを鎮める」という意味で神として祭る御霊(ごりょう)(菅原道真、平将門など)もこの分類に含まれる。
様々な部族が個々に固有の神を信仰していた。それらの部族が交流するにしたがって各部族の神が習合し、それによって変容するようになった。さらに、北方系のシャーマニズムなども影響を与えた。これを「神神習合」と呼ぶ学者もいる。この神神習合が、後に仏教を初めとする他宗教の神々を受け入れる素地となった。

(3)万物の創造主
平田篤胤が禁書であったキリスト教関係の書の影響を受け、天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を万物の創造主として位置づけたものである。尊王攘夷思想の基盤を形成し、近代の教派神道各派にも強い影響を与えている。国家神道の基盤ともなったが、神道事務局祭神論争(1880年 - 1881年)での出雲派の敗退により表舞台からは消えて潜勢力となった。天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神は造化三神とされた。造化三神は、多くの復古神道において現在でも究極神とされている。中でも天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は最高位に位置づけられている。

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