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2014年8月 9日 (土)

霊魂の哲学と科学(その25)

霊魂の哲学と科学(その25)
第5章 霊魂の哲学について(18)

第6節 プラトンの語る悪魔(1)

悪魔は神の対極にある。プラトンはソクラテスをして絶対神、つまり最高の神について語らしめているのが、まず次にそれを紹介しよう。それによって、その対極としての悪魔の特性が自ずと明らかになるであろう。

アディマントス:ソクラテス、あなたに考えていただきたいのは、「正義」と「不正」について個人的にも口にされ、詩人たちも公表しているような別の種類の言説のことです。
すなわち、すべての人びとが異口同音に繰り返し語るのは、節制や正義はたしかに美しい、しかしそれは困難で骨の折れるものだ、これに対し放埒(ほうらつ)や不正は快(こころよ)いものであり、たやすく自分のものになる、それが醜いとされるのは世間の思惑と法律・習慣のうえのことにすぎないのだ、ということです。彼らはまた、不正な事柄の方が多くの場合正しい事柄よりも特になると言い、邪(よこさま)な人間であっても金その他の力を持っていれば、そういう人間のことを、公の場でも個人的な立場でも、何はばかることなく、祝福し尊敬しようとします。他方、正しくても無力で貧乏な人間に対しては、前者と比べてより善人であることを認めながらも、これを見下し、軽蔑しようとするものです。
しかし、すべてこうした言説の中でももっとも驚くべきは、神々と徳について語られている次のようなことでしょう。つまりそれによると、神々でさえも、善き人びとに不運と不幸な生活を、悪しき人びとにその反対の運命を与えることがしばしばある、というのです。そして乞食坊主や予言者といった連中は、金持たちの家の門を叩いては、自分には犠牲や呪文によって神々から授かる力があるのだと信じ込ませようとします、
・・・もしあなたに何か罪があるならば、それをおかしたのがあなた自身であろうと、あなたの先祖であろうと、宴会を楽しんでいる間に自分はその罪を償ってあげることができる。また、もし誰か敵に危害を加えたいのであれば、その敵が不正なものであろうと正しい人間であろうと、わずかの金を出してくれさえすれば、呪いと魔力によってその敵を痛めつけてあげ
よう。自分は神々にお願いをして、自分の言うとおりに働いていただくように説得するのだからと、こう彼らは自称するわけなのです。(中略)この供犠と楽しい遊戯のことを彼らは「秘儀」と名付け、それはわれわれをあの世での苦しい罪から解放してくれるが、この儀式をなおざりにする者には、数々の恐ろしいことが待っているのだ、とおどかすわけです。
さあ、こうなるといったい、われわれが最大の不正よりは正義の方を選ぶためのどのような根拠が、なお残っているでしょうか?(中略)「正義」と「不正」のそれぞれが、それぞれを所有している者の「魂」の内にあって、神々にも人間にも気づかれないときに、それ自体としてそれ自身の力で、どのような働きをなすかということは、詩においても散文においても、かって一度もくわしく語られたことはなかった。まさにその見地から、「不正」こそは魂が自己自身の内にもつ悪の最大のものであり、「正義」こそは最大の善であることをじゅうぶんに証明した者は、一人もいなかった。(中略)そういうわけですから、どうかわれわれのために、ただ「正義」は「不正」にまさるということを言葉の上で示すことだけでなく、それぞれは、神々と人間に気づかれる気づかれないにかかわりなく、それ自体としてそれ自身の力だけで、その所有者にどのような働きを及ぼすが故に、一方は善であり、他方は悪であるのかを示してください。

ソクラテス:これは、愛する友らよ、うまい言い方だと僕は思う。なぜって、あれほど不正のために弁じることができながら、しかも「不正」が「正義」よりまさるということを信じて
はいないとしたら、君たちはまったく「神のごとき」性質を持っていることになるからね。
そして君たちは、本当のところ、そうは信じていないように見えるのだ。僕は君たちの平生の人となりから判断して、そう推測する。君たちが論じている言葉を聞くだけだったら、とても君たちを信用できなかっただろうがね。とはいえ、君たちを信用すればするほど、それだけいっそう僕は途方に暮れるのだ・・・さてどうしたものか、と。まず、僕は、どうやって「正義」を助けたらよいのかわからない。(中略)

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