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2014年8月10日 (日)

霊魂の哲学と科学(その26)

霊魂の哲学と科学(その26)
第5章 霊魂の哲学について(19)

第6節 プラトンの語る悪魔(2)

プラトンは、ソクラテスの名を借りて、引き続き次のように語ってる。

ソクラテス:しかるに、馬であれ、犬であれ、他の動物であれ、気概のないものが勇敢であることができるだろうか? 君は気づいたことがないかね・・・気概というものがどれほど抗しがたく打ち克ちがたいものであって、それがそなわっていれば、どんな魂でも、いかなる事柄に直面しても恐れず、不屈であるということに?

アディマントス:気づいたことがあります。
ソクラテス:では、身体の面では、守護者はどのような者でなければならないかということは明らかだ。
アディマントス:ええ。
ソクラテス:また魂の面でも、気概のある性格でなければならぬこと、これも明らかだ。アディマントス:ええ、そのことも明らかです。(中略)
ソクラテス:次の問題に移ろう。いったい君は、神とは魔法使いのようなものであって、あるときはいろいろと多くの形へと実際に変身して自分自身の姿を変え、またあるときにはわれわれを欺いて、自分についてただそのように見せかけることにより、そのときそのときで、故意にさまざまの違った姿で現れることができると思うかね? それとも、神は単一な性格のものであって、自分自身の姿から抜け出すというようなことは、到底あり得ないと思うかね?

アディマントス:ちょっとすぐには答えられません。
ソクラテス:では、この点はどうかね・・・もし何かが自分自身の姿から抜け出すとすれば、自分が自分で変わるか、他のものによって変えられるか、このどちらかでなければならないのではないか?

アディマントス:そうでなければなりません。
ソクラテス:そこでまず、他のものによって動かされ変様させられるということのほうだが、これは、最も優れた状態にあるものには最も起こりえないことではないかね? たとえば、身体は、食物や飲み物や労苦に影響され、またすべての植物は、太陽の熱や風やそれに類するものの影響をこうむるけれども、その場合、最も健康で強いものほど、変様を受ける度合いが最も少ないのではないかね?
アディマントス:たしかにそのとおりです。
ソクラテス:また魂は、最も勇気があり最も思慮のある魂ほど、外部からの影響によって乱されたり変様を受けたりすることが、最も少ないのではないかね?
アディマントス:ええ。
ソクラテス:しかし、それでは、神は自分で自分を変化させたり、変様させたりするのだろうか?
アディマントス:そういうことになるのは明らかです。そもそも変様することがあるとすれば。
ソクラテス:ではその場合、神は、より優れたもの、より美しいものへと自分を変えるだろうか、それとも自分より劣ったもの、より醜いものへと変えるのだろうか?
アディマントス:それはどうして、自分より劣ったものへでなければなりません・・・もし変様するとしたらですね。なぜなら、いやしくも神が、美しさや優れてあることにおいて不完全なところがあるとは、われわれにはけっして言えないでしょうから。
ソクラテス:それはこの上なく正しい指摘だ。(中略)してみると、神が自分を変様させようと望むということも、ありえないことになる。むしろ、どうやら、どの神も可能な限り最もうつくしく最も優れているからには、常に単一のあり方を保って自分自身の姿のうちにとどまる。
アディマントス:私にはそのことは、全き必然であると思われます。
ソクラテス:そうすると、君、いかなる作家(詩人)にも次のようなことを、われわれに向かって語らせてはならない訳だ・・・
神々は異国の人たちに姿を似せありとあらゆる様に身をやつして国々を訪れる
(中略)
その他これに類する多くの偽りをわれわれに語らせてはならないのだ。他方また母親たちも、こうした人びとの言うことを信じ込んで、何か神々がいろいろと多くの異人の姿をして夜な夜な徘徊しているといったような、間違った物語を語り聞かせることによって、子供たちをこわがらせてなならない。神々を冒涜(ぼうとく)しないために、同時にまた、子供たちを臆病者にしないためにね。
アディマントス:たしかに許してはならないことです。おそらくは。
ソクラテス:なんだって? 神は言行いずれにおいてにせよ、見せかけだけの幻影を差し出すことによって、偽ることを望むだろうか?
アディマントス:わかりません。
ソクラテス:わからないのかね。ほんとうの偽り・・・こういう言い方ができるとして・・・というものは、すべての神々も人間も、これを憎むということが?
アディマントス:それはどういう意味でしょうか?
ソクラテス:つまり、自分自身の最も肝要な部分において、また最も肝要な事柄に関して偽るということは、何びともみずからすすんでこれを望むものではなく、逆に、そこにそういう偽りを所有することを、何にもまして恐れるということだ。
アディマントス:そう言われてもまだわかりませんが。
ソクラテス:僕が何か、しかめっつらしいことを言っていると思うからだよ。僕が言っているのは要するに、真実に関して魂において偽り、偽りの状態にあり、かくて無知であること、そして魂の内に偽りをもち所有していること・・・これをどんなものでもいちばん受け入れたがらないし、そのような場合の偽りを何よりも憎むということなのだ。
アディマントス:そのことならたしかにそうです。
ソクラテス:しかるにそのような偽りこそは、さっき僕が言ったように、最も正当にほんとうの偽りと呼ばれてしかるべきものだろう・・・偽りにおちいっている人たちがもつ、魂の内なる無知こそはね。なぜなら、言葉における偽りは、魂の内なる状態の模造であり、後から生じる影なのであって、まったく純粋に混じり気のない偽りというわけではないのだから。
アディマントス:たしかにそのとおりです。

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