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2014年8月23日 (土)

霊魂の哲学と科学(その39)

霊魂の哲学と科学(その39)

第6章 霊魂の科学(7)

第4節 生命の実体

私は、「脳と心の量子論・・場の量子論が解き明かす心の姿」(治部眞理、保江邦夫、1
998年5月、講談社)にもとづいて心の実態を求めて必要な勉強を進めてきて、その要点を電子書籍「書評・日本の文脈」の補筆として書いた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/bunhohitu1.pdf

その中で、現在量子脳力学で理解されている「生命の実体」については、下記の通りである。
 驚くべきことに、このようなミッキーたちの動きというものは、脳の中だけではなくて、お尻の細胞であろうと、あるいは他の動植物や単細胞生物の細胞であろうとも、一般的に行われているという。そして、そういう生物が死んだ場合、ミッキーたちの動きがだんだんとバラバラになっていき、だんだんとダイナミカルな秩序が消えていってしまうらしい。このことから、次のような極めて重要な結論が導き出される。すなわち、
『生命とは、細胞のミクロな世界に広がるミッキー場が隅々まで張り巡らしたダイナミカルな秩序、小さなミッキーたちが集団で演技する、調和のとれた華麗なシンクロナイズスイミングそのものである。』

 私の教科書「脳と心の量子論」(治部真理、保江邦夫、1998年5月、講談社)では以上のような考えについて次のように言っている。すなわち、
『もちろん、これは場の量子論によって理論的に考え出された一つの理論にすぎず、実験によって実証されたものではありません。それでも、本質に迫る理論だという確証があるのです。
 いったい、なぜでしょうか?
 実は、生命のない物質の性質を調べるために用いられた範囲では、場の量子論の理論的考察はすべて正しい結果を導いてくれたのです。いまでは、場と量子という概念によってミクロのスケールでの物質のなりたちを説明することに、全く疑問をはさむ余地はありません。
 だからこそ、生命のある物質の場合にも、きっと正しい結論を与えてくれるはずです。
それに、万が一最終的な答えになっていなくとも、少なくとも、そこから何か生命の本質に迫るきっかけがつかめるのではないでしょうか。
 世界で最初にこう考えた理論物理学者が、梅沢博臣と高橋康なのです。時に1960年代から70年にかけてのことでした。
 しかも、アメリカやカナダ、ヨーロッパで多くの優秀な物理学者の弟子たちを育てた二人だけあって、そのあとにつづく研究も盛んになっています。(中略)キーポイントは、細胞の中の水、ミクロの量子の世界でのミッキー場の秩序ある運動でした。それまでだれひとりとして顧みることのなかった、場の量子論でしか理解することのできない細胞内外の秩序運動に目を付けたのは、場の量子論の大家としての「勘所」にちがいありません。』・・・と。

 理論物理学者・梅沢博臣と高橋康によれば、「生命とは量子論的な秩序」なのである。
現在量子脳力学で理解されている「生命の実体」については以上の通りであるが、結局、現在のところこれ以上のことは判っていない。つまり、「生命の起源」において、どうして「量子論的な秩序」が形成されるようになったのかは、今のところ、量子脳力学ではまったくお手上げなのである。

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