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2014年8月 9日 (土)

地域再生(その1)

地域再生(その1)

山 村の再生のためにどうすればいいか?これが私の大きな課題であり、山村生活こそ本当の幸せを遅れるのだということを都会の若者に理解してもらうために、い ろんなことを今考えています。そのなかで、「山の霊魂」というものを意識しながら、今、「山地拠点都市構想」を書いていますが、その前段として、とりあえ ず「霊魂の哲学と科学」についてアップしているのです。
ハイデガーが言うには、「エートス・アントロポイ・ダイモーン」という言葉をヘラクレイトスが使っている。これはギリシャ人の思考を非常にうまく表現して いるという。「エートス」親しくあるもの、「アントロポイ」は人間、「ダイモーン」はギリシャの神々である。だから、「人間にとって親しくある場所は神の 近くにいることである」という意味だとハイデガーは言っている。
神の坐しますところ、それは山だ!山村生活こそ本当の幸せを遅れるのだ。それを私の霊魂論から、何とか判りやすく説明できないものか、今、いろいろと考えているところです。しばらく私の霊魂論「霊魂の哲学と科学」におつきあいください。

おそらく古代人は、山だけでなく、大地そのものが生き物のような存在であると感じていたのではなかろうか。人間は、そのわけのわからない巨大な生き 物の背中にしがみつきながら、かろうじて生存している小さな動物に過ぎない。バタイユが言うように、古代人が動物に「至高性」を感じ取ったとすれば、この 地上に山より大きな動物はいないのであるから、その山に四方から囲まれながら暮らした人びとが、その大いなる動物に対して畏敬の念をもたなかったはずがな い。ましてや波打つような山脈に覆われた日本列島に暮らした古代人にとっては、「至高性」をもっとも強烈に感じさせる動物とは山に他ならず、そこにこそ最 初の神観念が発生することになったといっても決して過言ではなかろう。
ここで非常に大切なことを一つ指摘しておかねばならない。それは古代人が持っていた感覚や、その鋭い感覚に触発されて生まれてくる想像力を、けっして現代 人のそれと同類のものとあつかってはならないということだ。彼らは、眼、耳、鼻、口、皮膚と言ったバラバラに分離した器官ではなく、全身で感覚していたの であある。個々の感覚的知覚を統合するものとして「共通感覚」という言葉を最初に使い 出したのはアリストテレスであるが、近代以前の人間が、そのような統合的感覚をどれほど旺盛にもっていたかは、今も世界各地で暮らす先住民族の生態を少し ばかり垣間みればすぐにわかることである。彼らは、獲物がどこに潜んでいるか、どこに行けば食べごろの木の実が採れるか、独特のカンを働かせる。抜群の視 力や聴力を駆使するだけでなく、風の匂いのようなものを嗅ぎ取り、そこから必要情報を体にインプットしていくのである。そういう感覚を特に旺盛に持つ者 は、透視や予言などの超自然的な能力を伸張させていき、やがては部族の中でシャーマン的な役割を果たすようになった。感覚が活発に働いておれば、さまざま なイメージが心の中に湧出してくる。それが想像力である。われわれが迷信や蒙昧(もうまい)というレッテルで片付けてしまいがちな彼らの想像力は、どこま でも有機的であった。酵母菌のように、どんどん自家増殖する力を持っていたのである。さしずめ近代以降の人間の想像力は、ますます無精卵的なものになりつ つあるのではなかろうか。ここでさしずめ思い出されるのは、「詩人の中でもっとも哲学者であり、哲学者の中でもっとも詩人である」と言われたガストン・バ シュラールの「物質的想像力」という考え方である。それは、人間が目の前に存在しない事物を夢想する能力ではなく、世界を構成している火、水、空、土など の物質的要素から直接的な刺激を受け、力強いイメージを喚起する想像力のことである。人間が頭の中で想像するのではなく、自然界の物質によって喚起される 想像力は、既存のイメージをデフォルメ(変形)し、その常識的イメージからわれわれを解放してくれる。われわれが、未来に向かってどこまで新しい生活を築 きえるかも、ひとえに想像力の資質にかかっている。
バシュラールは、本物の詩人なら誰でもこの「物質的想像力」を駆使していると言ったのだが、東北の野山を彷徨しながら、「心象スケッチ」を描き続けた宮沢 賢治のことを思い浮かべてみれば、なるほどと思われてくる。彼のつづる童話が読者の心の中に、パン種のような有機的膨らみをもたらすのは、岩手産の「物質 的想像力」のせいらしい。
山を見て、地殻変動によって生じた特殊な地形としか見ることができなくなったのは、近代人のドライな想像力のせいである。有機的な」想像力をもつ古代人の感覚には、山はもっとも野卑にして、もっとも力強い生き物以外の何ものでもなかった筈だ。

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コメント

エートス・アントロポイ・ダイモーン ヘラクレイトスでグーグルしたら、先生のブログに遭遇しました。

佐伯啓思著、現代文明論 下 20世紀とは何だったのか のを再読を昨日終えました。

9月、「図書館とキョウヨウ(ジ)」という題目で、講演すぬのですが、人間、地域社会において「今日用事」を主体的・創造的に作れるかが重要だという内容で、パワーポイントを利用して、今、仕込みの最中です。

アメリカ文明が陥らざるを得ないニヒリズム、明治以来、便宜的に西洋文明を借用してきた日本は、いよいよ欧米諸国からの呪縛から脱却しなくてはなりません。

ニーチェ・ハイデガーが伝えたかったことを、あるべい日本社会をパースペクティブしながら、咀嚼していきたいと思っています。

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