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2014年8月 4日 (月)

霊魂の哲学と科学(その20)

霊魂の哲学と科学(その20)
第5章 霊魂の哲学について(13)
第3節 ホワイトヘッドの霊魂観(7)

4、永遠的対象について(1)

私は項3において、「抱握」について説明した。 ホワイトヘッドのいう「抱握」というのは、必ずしも人間にだけ通用する概念ではなく、「活動的在」すべてに通用する概念であるが、人間については、『「抱握」は感じることであり、「feeling」だと言っても良いかもしれない。』・・・と申し上げた。そして、『ホワイトヘッド哲学においては、自然理解を二元分裂(bifurcation)させてしまう哲学や科学の見方に対する異議申し立てに使われている。何かの対象や出来事や現象を抱握するとは、そこに主語と述語を分断しないでそれらを包みこんで把握することが大事なのである。神は「活動的存在」とともにある。人間についていえば、神は人のためにあるし、人は神のためにある。』・・・とも申し上げた。

これらのことは、主体と客体、主語と述語を包括した「抱握」という概念が神や霊魂を理解する上で決定的に重要であることを示しており、主体と客体、主語と述語を包括した
「抱握」というのがとりもなおさず「feeling」だから、何かの対象や出来事や現象に対して何か不思議な力を感じることによって神を感じるということとなる。つまり、神は主体と客体、主語と述語を包括した「抱握」、つまり「feeling」の中におわすという、ごく常識的というか私たちの感覚に合致した結論をホワイトヘッドは形而上学的に導きだしたのである。
例えば、何か神や霊魂のようなものを感じながら「祈祷」を行う場合、その「祈祷」の中に神や霊魂は姿を現すのである。つまり、「祈祷」というものがいろんな形で行われているが、それはとりもなおさず神や霊魂が私たちとともにいることの証明である。神や霊魂が存在するのかしないのか、そんな議論は不要である。「祈祷」が行われているという事実を持って「神や霊魂は存在する」と断言していいのである。ニーチェは「神は死んだ」と言ったが、現実に「祈り」が行われている以上、「神は死んでいない」のである。そう言いきれるのはホワイトヘッド哲学のお蔭であって、その哲学を成り立たせている概念が「抱握」なのである。

したがって、「抱握」という概念をしっかり認識することが大事である。「抱握」がなぜ「feeling」と言えるのか、「抱握」を成り立たせているのは何なのか? 
以下、その説明をしたい。

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