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2014年8月 2日 (土)

霊魂の哲学と科学(その19)

霊魂の哲学と科学(その19)
第5章 霊魂の哲学について(12)
第3節 ホワイトヘッドの霊魂観(6)

3、抱握(2)

それでは、「物理的抱握」と「観念的抱握」という働きは、人間以外の「活動的存在」においては、どうなっているのか。植物や鉱物が、対象を 「***として」認識するのだろうか。ホワイトヘッドは、それぞれの「活動的存在」の「抱握」の仕方を「主体的形式」と呼ぶ。例えば、われわれが、何かを 認識するとき、その対象を「好き」であったり、「嫌い」であったり、何かしらの価値を、その対象に付与する。それが、「主体的形式」だ。そういう「主体的 形式」ともとにして、「***として」という、「抱握」の仕方が決まる。
このような「主体的形式」を、細胞のほかの細胞と接触するとき、おのずとそこには、分子間、細胞間に、ある種の「主体的形式」がある。親和的で あったり、反発したりするだろう。そのつどの分子間の反応や細胞の関係を規定する、この「主体的形式」によって、特定の「概念的抱握」がなされるのであ る。分子であろうが、細胞であろうが、あらゆる「活動的存在」は、「概念的」に抱握していることになるだろう。つまり、関係する相手を、その都度それなり に評価することによって抱握しているのだ。』・・・と。

難しいですね。分子間や細胞間に働く「主体的形式」とはどんなことを言っているのか?
項1で説明したように、量子の世界では、宇宙と人間の脳に限らず、ホワイトヘッドのいう「活動的存在」は、すべて同じ原理で動いており、生成と消 滅をくり返している。また、項2、で説明したように、「活動的存在」の周辺にある「場」を通じて「エネルゲイア」の働きがある。ということは、「活動的存 在」間に何らかの関係が生じているということだ。関係があるということはそれらの間に主体的なものと客体的なものがある。中村雄二郎のリズム論でいえば、 主語と述語があるということである。中村昇は、上記の説明の中で、「主体的形式」と言っているが、私は、 分子間や細胞間に作用する力やエネル
ギーの関係、すなわち「エネルゲイア」の関係は主語的であり、かつ、述語的関係であると思う。さらに、項2、で説明したように、「エネルゲイア」は神や霊魂と考えてよいの
で、分子間や細胞間に作用する神や霊魂の力は、主語的であり、かつ、述語的である。

「抱握」という概念は、主体と客体、主語と述語を包括した概念である。すなわち、ホワイトヘッド哲学においては、自然理解を二元分裂 (bifurcation)させてしまう哲学や科学の見方に対する異議申し立てに使われている。何かの対象や出来事や現象を抱握するとは、そこに主語と述 語を分断しないでそれらを包みこんで把握することが大事なのである。神はそういう「活動的存在」とともにある。

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