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2014年7月28日 (月)

れいこんの哲学と科学(その14)

霊魂の哲学と科学(その14)
第5章 霊魂の哲学について(7)

第3節 ホワイトヘッドの霊魂観(1)

ホワイトヘッドは、その画期的な哲学によって、神の存在を明らかにしたが、同じ論理展開を行えば、霊魂の存在もそのまま説明できる。神も霊魂も現象論的には同じ現象である。後ほど述べるように、歴史的にいろいろと悪魔が語られてきたが、それらの悪魔論において、悪魔が神と見なされている思想も少なくない。このことも神と悪魔とは現象論的に同じ現象であることを示していると思われるのだが、霊魂は、その人が善人であるか悪人であるか、その人の人生における行いによって、神にもなるし、悪魔にもなる。したがって、霊魂が示す霊的現象は、本質的に言えば、神と悪魔に関わる両義的な現象である。ここではホワイトヘッドの神の存在を明らかにするその哲学を説明しておきたい。

1、活動的存在(1)

すべての存在は、活動的に存在している。この「活動的に存在している」という言い方がホワイトヘッドの心髄を表しており、これをきっちり理解しておかないと、ホワイトヘッドの哲学をきっちり理解することはできない。そこで、私はまず、ホワイトヘッドのいう「活動的存在」をどのように理解すればいいか、その説明をしてみたいと思う。
「万物流転」という言葉があるが、すべての存在(万物)は変化している。普通はそのように考えているかと思うが、ホワイトヘッドは、すべての存在(万物)は、変化をしているように見えるだけで、実は、すべての存在(万物)は生成し瞬間的に消滅しているのだという。すなわち、すべての存在(万物)は、瞬間的に存在しているだけですぐに消滅するのだが、消滅したあとすぐにまた生成される。生成されればまた瞬間的に消滅する。生成と消滅が次々とくり返されていく。点の連続だという訳だ。瞬間瞬間で切ったとき、その点である存在は、唯一無二のものである。すなわち、すべての存在は、生成されればすぐに消滅するけれど、変化はしない。唯一無二というのはそういうことだ。しかし、私たちの目には、すべての存在(万物)が変化するように見えるのはどういうことであろうか?

それを哲学的に説明するためには、「抱握」とか「延長連続体」というホワイトヘッド独特の概念を用いなければならないのだが、これを説明しだすとよけい頭がこんがらがってくるので、ここではその説明はしない。ここでは、「 すべての存在は、生成されればすぐに消滅するけれど、変化はしない。唯一無二のものである。」ということを申し上げておくだけにとどめておく。ここでは「抱握」とか「延長連続体」とかの概念を用いないで、私なりの説明をしてみたいと思う。
すべての存在(万物)、すなわち「活動的存在」の例としてホワイトヘッドがあげたものを列挙してみよう。これは「ホワイトヘッドの哲学」(中村昇、2007年6月、講談社)からの引用である。同著の中で中村昇は次のように言っている。すなわち、
『ワラックは、ホワイトヘッドが例としてあげた「活動的存在」を列挙している。
神、瑣末な一吹きの存在、一羽の鳥、一匹の野獣、一本の木、一本の草、一枚の葉、一頭の羊、一粒の砂、母親についての子供の観念、太陽、ソクラテス、可死的生起、アテネ的生起、シーザー、ルビコン川、シーザーのルビコン川の渡河、ハンニバル、電子的生起、陽子的生起、エネルギー量子、人間身体の諸器官、神経細胞、エディンバラの城岩、古代ローマ帝国、ヨーロッパ、北米におけるヨーロッパ諸人種の歴史、スペインのカリフォルニア支配の失敗、スペインのイングランド支配の失敗、地質学で論じられている事柄、シェイクスピアのソネット、バッハのフーガ、講堂、ビルディング、マサチューセッツ州のケンブリッジ、地球の表面、地球、太陽系、星雲、星雲系、生きる生起、聞き手、究極の知覚者、直前の過去のわれわれ自身、われわれの直接の現在、自我、霊魂、心、ギリシャ語についてのある人間の知識、人間の知っている生起、人間の知らない生起、人間的経験、下級の有機体、いわゆる「空虚な空間」における生起、存続する生きていない対象の生起、原始的有機体、動物の生起、植物の生起、細胞の生起、大規模な無機的自然の生起、分子以下の出来事。』・・・と。

『「活動的存在」を、その意味(あり方)を汲み取って訳すとすれば、「その都度のあり方」「唯一無二のそれ」「生き生きとした、ただ一つの経験」といったことになるかもしれない。この世界を満たすすべての存在(この「存在」というのが、すでに「もの」的な言い方なので、「あり方」といった方が良いかもしれない。』・・・と。
以上のホワイトヘッドが例としてあげたという「活動的存在」の列挙を見ても判るように、ホワイトヘッドは、アメーバーも人間も、また地球も宇宙も、さらには心までも、本質的には、みんな同じであると考えていたことは明らかである。したがって、人間に霊魂があるとすれば、アメーバーも含めて、総ての動物に霊魂があるということになる。動物霊というものは存在するのだ。
さあそこで、私は、上に列挙したものは、すべて現実の存在する「万物」を言っている。
この「万物」は間違いなく変化している。変化しながらも消滅しないで継続して存続している。したがって、私は、上に列挙したものを「存続物」と呼びたいと思う。
私のいう「存続物」とは、
『 神、瑣末な一吹きの存在、一羽の鳥、一匹の野獣、一本の木、一本の草、一枚の葉、一頭の羊、一粒の砂、母親についての子供の観念、太陽、ソクラテス、可死的生起、アテネ的生起、シーザー、ルビコン川、シーザーのルビコン川の渡河、ハンニバル、電子的生起、陽子的生起、エネルギー量子、人間身体の諸器官、神経細胞、エディンバラの城岩、古代ローマ帝国、ヨーロッパ、北米におけるヨーロッパ諸人種の歴史、スペインのカリフォルニア支配の失敗、スペインのイングランド支配の失敗、地質学で論じられている事柄、シェイクスピアのソネット、バッハのフーガ、講堂、ビルディング、マサチューセッツ州のケンブリッジ、地球の表面、地球、太陽系、星雲、星雲系、生きる生起、聞き手、究極の知覚者、直前の過去のわれわれ自身、われわれの直接の現在、自我、霊魂、心、ギリシャ語についてのある人間の知識、人間の知っている生起、人間の知らない生起、人間的経験、下級の有機体、いわゆる「空虚な空間」における生起、存続する生きていない対象の生起、原始的有機体、動物の生起、植物の生起、細胞の生起、大規模な無機的自然の生起、分子以下の出来事。』・・・のことである。

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