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2014年7月30日 (水)

霊魂の哲学と科学(その16)

霊魂の哲学と科学(その16)
第5章 霊魂の哲学について(9)
第3節 ホワイトヘッドの霊魂観(3)

2、エネルゲイア(1)

現在用いられているような「エネルギー」という概念が確立したのは19世紀後半のことである。
エネルギーという語はドイツ語のEnergieが日本語に持ち込まれたもので、その語源となったギリシア語の「エネルゲイア」はエルゴンに由来する。 エルゴンは < 物体内部に蓄えられた、仕事をする能力 >という意味の語である。

このように、エネルギーという語・概念は、物体が仕事をなし得る能力、を意味したが、その後、自然科学の説明体系が変化し、熱・光・電磁気もエネルギーとされるようになり、さらに20世紀初めには質量までがエネルギーの一形態であるとされるようになった。そして、ホワイトヘッドは、老僧の「悟り」とか今西錦司の「直観」のように目に見えない「心の動き」もエネルギーの一形態であると考えたのである。
なお、アリストテレス哲学では、「エネルゲイア」という概念について形而上学的な思考が重ねられ、それ以来、西洋哲学では「エネルゲイア」についての形而上学的な思考が続いている。したがって、この「エネルゲイア」という言葉については、いろいろなことが言われているので、それらを勉強しようとすると本当に頭がこんがらがってきてしまう。
「エネルゲイア」という言葉はアリストテレス以来の哲学的な言葉であり、エネルギーというのは科学的な言葉であるが、ホワイトヘッドの哲学は、アリストテレス以来の哲学と近年の科学を統一する形而上学的な論理である。科学的なエネルギーという言葉を使っていては、形而上学的な思考ができない。つまり、この世の中の原理を理解することはできないし、神の存在を説明することもできない。唯一、ホワイトヘッドの哲学だけが、この世の中の原理を説明することができるし、神の存在を説明することができる。その鍵を握るのが「エネルゲイア」という言葉であり、「エネルゲイア」という概念である。
さあ、そこでだ。私たちは「エネルゲイア」というものをどう理解すれば良いのか? それをこれから説明していきたいと思う。
私は先に、『「エネルゲイア」は「存続物」が変化(活動)するるためのエネルギーのことである。』と述べた。したがって、「エネルゲイア」を理解するためには、「存続物」のきっちりした認識が必要である。「存続物」の本質は何か? 「存続物」の本質的な構造はどんなものか?そこから説明を始めよう。
ホワイトヘッドは、存続物とは「ネクサス(nexus)」であるという。「ネクサス」とは、辞書を引きと、「結び、結合とかつなぎ、きずな」、「関係とか関連、或いは関連性のある一連のもの」、「集合体」などの説明があるが、「事物、観念の連鎖的系列」或いは「生物学で細胞間の結合様式の一つ」という説明のある辞書もある。荒川嘉広は「関係性の統一のうちにある一組の諸細胞」と解釈している。私は、「連鎖的結合体」と呼んでいるので、以下において、「ネクサス」に代る言葉として「連鎖的結合体」という言葉を使うことにする。皆さんもよくご承知のように遺伝子は「連鎖的結合体」である。鎖状の結合体になっているという意味である。人間の身体もそうだが、すべての物質は分子の「連鎖的結合体」である。人間社会を考えれば、人々や自然や歴史との網の目のような関係性の中にあり、社会はそれらの「連鎖的結合体」と考え得る。社会が変化するということは、それを構成している人間や自然や歴史という「存続物」すなわち「ネクサス」が変化することであり、変化の担い手は「ネクサス」である。また、逆に、社会を構成している人間や自然や歴史が変わるということは、社会が変わるということでもあり、そういう意味で、変化の担い手は「社会」であるという言い方もできよう。
そういう変化の担い手を変化せしめる力というかエネルギーが、「エネルゲイア」である。なお、この世には、宇宙にも人間の身体の中にも、いろんな「場」というものがあって、そこに力が作用すればエネルギーが発生するし、エネルギーが作用すれば力が発生する。「場」というものを通じて、力とエネルギーは同じようなものと考えてよい。「場」としては、「電磁場」が身近なものであるが、摩訶不思議な「場」としてシェルドレイクの「形態形成場」というものがある。私が「意識の場」と呼んでいるものもある。そういう「場」の働きを通じて、「ネクサス」は変化し、社会は変化するのである。「場」にはまだ量子物理学で解明されていない摩訶不思議な「場」がいくつかあると思われるので、「場」を通じて発生する力やエネルギー、つまり「エネルゲイア」は摩訶不思議な存在である。人間の理性を遥かに超えた存在である。「神」もそういう存在であるが、実は、霊魂もそういう存在なのである。

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