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2014年7月 8日 (火)

医心方(その18)

医心方(その18)

第1章 中国伝来文化と医心方

第4節 医心方とは?(2)

1、槙佐知子のお陰(2)

丹波康頼(たんば の やすより)は、本来坂上氏であるが、永観2年(984年)に『医心方』全30巻を編集し朝廷に献上、その功績をもって朝廷より「丹波宿禰」姓を賜り、以来医家として続く丹波氏の祖となったのである。

丹波康頼(たんば の やすより)の子孫は、代々朝廷の典薬頭を世襲し侍医に任じられる者を輩出、その嫡流は室町時代に堂上家となり錦小路家を称した。子孫のうち著名な者としては、『医略抄』を著した曾孫の丹波雅忠、あるいは後世において豊臣秀吉の侍医を務めた施薬院全宗や江戸幕府の奥医師・多紀元孝などが挙げられる。薬学者の丹波敬三がいる。また医家ではないが直系であり、鎌倉にある丹波家、分家である俳優の丹波哲郎・義隆親子や作曲家の丹波明が末裔にあたる。

丹波康頼(たんば の やすより) により朝廷に献上された医心方は、当初宮中に納められていたが、1554年に至り正親町天皇により典薬頭半井(なからい)家(和気氏の子孫)に下賜された。また丹波家においても医心方は秘蔵されていたとされるが、これは、少なくとも丹波氏の末裔である多紀家(半井(なからい)家と並ぶ江戸幕府の最高医官)において幕末までに多くが失われていたとされ、多紀元堅が復元し刷らせている。幕末に、江戸幕府が多紀に校勘させた「医心方」の元本には、半井家に伝わっていたものが使用された。この半井本は、1982年同家より文化庁に買い上げがあり、1984年国宝となっている。現在は東京国立博物館が所蔵している。
私は、阿知王の子孫が日本に貢献した最大のものは、以上述べてきた医療に関わる文化面にあると考えているが、もちろん政治面でも大きな役割を果たしたのであり、坂上田村麻呂を見れば判るように、そのことは言うまでもないであろう。

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