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2014年7月20日 (日)

霊魂の哲学と科学(その6)

霊魂の哲学と科学(その6)

第3章 谷川健一の「魔の系譜」について

「魔の系譜」(谷川健一、1999年2月、講談社)という本がある。彼はその中で、次のように述べている。すなわち、

『 私は日本の歴史に触れて、しだいに一つの考えを抱くようになった。死者が生者を支配する・・・といった現象が、日本の歴史において、あまりに多いように思うのだ。死者が生者を支配する・・・というのは、周知のようにオーギュスト・コントの有名な言葉だが、それは死者と生者の連帯を意味するのであろう。ヨーロッパでは、伝統とは死者と生者の連帯というほかない。しかし日本では先祖とのつながりはあるにしても、普遍的な死者と生者との連帯はない。あるのは対立だ。しかも死者が生者を支配するのだ。』

『 戦後の日本人が生き延びたという、それだけの理由のために勝利者づらをするのを許さない死者たちがいる。そういう死者は、被害者から加害者への道をひらくことにおのれを賭けて生者を揺さぶり、ひっぱたき、生者たちを眠り込ませないようにしている。もとよりそうした死者は、戦死者だけではない。政治的事件や反乱に参加して処刑された死者たちも含まれるのである。』

『 そもそも怨恨とは何であるか。ニーチェは弱者が強者に抱く妬心(としん)、すなわちルサンチマンと考えた。クレッチマーによると、ヒステリー性の神経症は、権力闘争を、異なる手段で続けるのに他ならない。ヒステリーのもつ怨恨の突然の爆発は、それまで抑圧されていた自分の優位性や権力を、一挙にして入手する手段だというのである。こうしてクレッチマーの医学心理学は、怨恨を権力闘争と密接に関連づける。権力闘争に破れて打撃を受けたものの抱く感情が怨恨である。クレッチマーの考え方は、怨恨がキリスト教道徳の根底をなしているという見方を含めて、ニーチェのルサンチマンと酷似している。力を求める闘争の中で、もっとも鋭い形のものは、政治支配をめぐる闘争である。政治闘争の敗北は、おうおうにして政治死を招く。怨恨もまた、もっとも激烈な形を取らざるを得ない。』・・・と。

そしてさらに、谷川健一は、呪詛(じゅそ)について、『 呪詛には磯部浅一の「ノロイ」の他に、大別して「トコイ」「カシリ」があると、伴信友はいう。信友によれば、「トコイ」は言霊(ことだま)によって、「憎むかたきに禍(わざわい)あらしむとてその人を思いつめ、凶言(まがごと)して禍あらしむべく神に請うてする術」である。『「カシリ」は「トコイ」と同義ながら、ことに稜厳(いつ)々々しき術をいうなるべし。』 つまり、カシリとはカジリックと同じくらい烈しい呪いなのである。この「トコイ」や「カシリ」が、言霊によってする術であるのにたいして、「ノロイ」は「一言も言わず、念(おも)いつめてするものなり」、たとえば、女の丑の時参りというのはノロイにあたる。(伴信友「方術源論」) 金子武雄は、個人対個人の呪詛が「トコイ」であり、集団と集団、又は集団の代表と集団の代表の間の呪詛が「カシリ」ではないかと述べている。』・・・と述べているが、もはや「トコイ」や「カシリ」という言葉は古語になって、今は使われない。したがって、呪詛については、少し判りやすく解説しておきたい。

私は電子書籍「祈りの科学シリーズ(8)」の第6章で、「ことだま」について梅棹忠雄の言っていることも紹介しながらやや詳しく書いた。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/toile06.pdf

これは神への「祈り」に関連して「ことだま」の力について縷々書いたものだが、呪詛(じゅそ)についてもかって昔は「ことだま」の力を利用していたらしい。しかし、現在では、社会の表面ではもう見られなくなっている。裏社会ではまだ「のろい」の言葉を発しながら呪詛(じゅそ)を行っていることもあるのかもしれないが、私はその実態をまったく知らないので、そういう呪詛(じゅそ)があるとも無いとも何とも言えない。それに対して、一言も言わず、念(おも)いつめてする「丑の刻参り」というのは、その形跡を私は見たことがあるので、「丑の刻参り」という呪詛(じゅそ)は今でも行われていると思う。

さあそこで、呪詛(じゅそ)の分類だが、私は、個人対個人の場合が「丑の刻参り」、個人対集団の場合が「ユウレイ」、集団対集団の場合が「怨霊」、集団対個人の場合が「ツキモノ」で良いのではないかと考えている。ここで集団という言葉だが、「ユウレイ」の場合は「世の中の人びと」、「怨霊」の場合は「政治集団」、「ツキモノ」の場合は「集団が作り出す生活環境」や「集団の中のある人たち」まで含めて広義の意味と思ってほしい。

谷川健一は「魔の系譜」(講談社)の中で、次のような誠に重要なことを述べている。すなわち、
『 私たちがこれまで見てきたのは、呪詛(じゅそ)のもつ力についてである。武器としての呪詛の有効性であり攻撃力であった。では、敗者のしての死者が、生者の心臓めがけて怨恨の矢をつがえるとき、その矢に呪詛を塗り付ける・・・その行為が日本においてヨーロッパの歴史などより、はるかに多いと思われるのは何故であろうか。それは死者ひとりびとりに帰すべき原因なのであろうか。それともその背後に、より巨大な魔(デーモン)の存在を想定すべきなのであろうか。
第一に、日本の社会が100年前まで、周期性をおもんずる農耕社会であったことがあげられる。そこでは死と復活、つまり収穫と播種(ほしゅ)が毎年繰り返される。要するにそこには、発展というよりは反復があるのみである。そしてまた農作物を害する自然の悪霊、それは台風であり、冷害であり、旱魃(かんばつ)であり、虫害であるが、それらがしばしば来襲して、ほとんど年中行事の観を呈していたということである。こうした反復する日常生活の中に閉じ込められているのは、古代にさかのぼるほど強烈であったに違いない。(中略)日本において、「魔」が強固な存在として役割を果たしてきたのは、農耕を主体とする日本の民衆が、ただ反復の中に生きたからである。(中略)自然の悪霊や敵対者の悪意というものが、その超歴史的な原因であり禍(わざわい)のもとであると信じられてきたのである。
第二に、道教の民間信仰と日本古来の民間信仰が癒着(ゆちゃく)した。仏教のもたらした輪廻(りんね)や業(ごう)の思想が、この祖型と反復の中に生きる日本人の農耕民としての心情を強化した。あいつぐ戦乱、洪水、大火、飢饉などが、京都に住む人びとの心を不安にした。(中略)そしてその不安は、政治の恐怖と結びついた。禍神(まがつかみ)やあらぶる神を恐れ、自然の悪霊として、すべての凶事をそこに帰した農民の太古からの伝統的な心情に、上層社会の権力闘争に敗れた者の怨念が合流合体した。そればかりではない。(中略)神と人との仲介者であり、かつまた生者と死者との連絡者としての特権を持つ呪術者が、この思想を普及し、それは日本人の固定観念となったのである。民俗学で「御霊信仰」と呼ばれるものがそれである。』・・・と。

以上、谷川健一はその著「魔の系譜」(1999年2月、講談社)の中で、示唆に富む事柄をいろいろと語っているので、その要点のみ紹介したが、第3章では、それらに関連して私なりにいろいろと述べているので、第3章全体を次ぎに紹介しておきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/rei03.pdf

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