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2014年7月21日 (月)

霊魂の哲学と科学(その7)

霊魂の哲学と科学(その7)

第4章 「ユウレイ」とは何か?

「幽霊」は、 死んだ者が成仏できず姿をあらわしたものであると一般的には考えられている。
日本語の日常会話や文学作品などでしばしば用いられている「成仏」という表現は、仏教でいう厳密な意味での「さとりを開いて仏陀になること」ではなく、死後に極楽あるいは天国といった安楽な世界に生まれ変わることを指し、「成仏」ができない、ということは、死後もその人の霊魂が現世をさまよっていることを指している。私はこのような現象を「ユウレイ」と呼びたいと思う。「ユウレイ」はともかく「成仏」を願ってさまよっているので、集団の中の誰でも良いから「ユウレイ」が成仏できるように行動すれば良いのである。そうすれば「ユウレイ」は安心して「成仏」するのである。私はこのように考えて、金子武雄に準じて分類すると個人の集団に対する呪詛、それが「ユウレイ」だと定義したい。

実は、『幽霊学入門』河合祥一郎著(新書館)という本は、「幽霊」に関する学術書であるが、ここでいう「幽霊」は哲学的な意味でいう「霊魂」のことで、奥が非常に深いし、その概念を理解することは大変難しい。私に言わせれば、「幽霊」というものを哲学的に、しかも判りやすく書いた本はなく哲学者はさぼっている。そこで、私は別途「幽霊」について判りやすい哲学的な説明をしたいと思っているが、ここでは「幽霊」と「ユウレイ」は違うということだけを申し上げておきたい。「ユウレイ」とは通常私たちが言っている「通俗的な幽霊」のことである。

では、以下に日本文化としての「ユウレイ」について紹介しておこう。
昔話には「子育て幽霊」、「幽霊女房」、「雪女」、「幽霊のそで掛け松」などの話がある。日本は島国であるためなのか、海の幽霊の話も多い。船幽霊とも言う。その内容とは例えば、幽霊船が現れて、幽霊が「柄杓(ひしゃく)を貸してくれ」というが、それを渡すとその柄杓で水を汲んで水船(水没してゆく船)にされてしまうといい、幽霊には柄杓の底を抜いてから渡さなければならない、とする。紀州に伝わる話では、幽霊船が出たら、かまわずぶつかってゆけば消えてしまうとされる。
「皿屋敷」など江戸時代以前から怪談という形で伝承され、江戸時代には幽霊話が大流行し、雨月物語、牡丹燈籠、四谷怪談などの名作が作られ、また講談・落語や草双紙・浮世絵で描かれ花開き、現在も題材として新作から古典の笑話・小説・劇などに用いられ、その他の様々な媒体で登場し紹介される。1825年7月26日に江戸の中村座という芝居小屋で「東海道四谷怪談」が初公演された事に因んで、7月26日は「幽霊の日」となっている。

さあそれでは現代の幽霊について、ネット上に興味あるページがあるので、それを紹介しておきたい。
http://www.occultic.net/occult/shinnreisupotto/
http://kaidance.blog62.fc2.com/blog-entry-766.html
http://matome.naver.jp/odai/2128037485353514801
http://scary.jp/supot/index.php
http://www.ryusuidou.com/sinrei/index.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E9%9C%8A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%88

「ユウレイ」の実在を証明する科学的根拠はない。医学的には、脳に傷害・疾患を患った患者の症例報告や、脳手術を行った患者の観察記録などの研究から、ある人が「ユウレイ」を見るというのは、人間の意識・感情・記憶にかかわる脳の機能・構造によるものとみなされている。では、私はなぜ「ユウレイ」が実際に存在すると思うのか? その点については、是非、この第4章の全体を読んでいただきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/rei04.pdf

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