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2014年7月 3日 (木)

医心方(その14)

医心方(その14)

第1章 中国伝来文化と医心方

第3節 明日香と医心方(1)

1、 甘樫坐(あまかします)神社の盟神探湯(くがたち)(1)

阿知王の末裔、つまり東漢(やまとあや)氏の末裔には朝廷の重臣が多く、彼らはそれぞれの時代に大きな働きをした。その中にかの有名な坂上田村麻呂がいる。 世に出回っている系図によると、坂上田村麻呂の「大叔父」が「医心方」を書いた丹波康頼(たんば の やすより)である。
阿知王の子孫は、都加使主、坂上駒子、坂上弓束、坂上老、坂上大国と続くが、坂上大国の子供に坂上犬飼と丹波康頼(たんば の やすより)がいるという系図があるのだが、坂上犬飼の子供が坂上苅田麻呂であり、その子が坂上田村麻呂であるから、その系図によれば丹波康頼(たんば の やすより)は坂上田村麻呂の「大叔父」になる訳だ。 坂上犬飼と丹波康頼(たんば の やすより)が兄弟だという系図は間違いだという見解もあるので、 坂上田村麻呂の「大叔父」が丹波康頼(たんば の やすより)であるというのはともかく、丹波康頼(たんば の やすより)が本来坂上氏であることは間違いなく、坂上田村麻呂とは近い親戚であったことは念頭に置いておいて欲しい。

阿知王は、「中国の医学書80冊」を持って日本にやってきた。そして、その医学書80冊とともに、それを読む漢文の知識が、都加使主、坂上駒子、坂上弓束、坂上老、坂上大国などを経て丹波康頼(たんば の やすより)へと伝承されいったのである。当初、その「中国の医学書80冊」はきっと明日香にあったに違いないし、それに基づく医療がきっと明日香で行われたに違いない。それをこれから探ることにしよう。

日本書紀と古事記は画期的な本であるが、それらはどのような目的のために書かれたのか?  それを語る場所としては、日本広ろしと言えども甘樫坐神社(あまかしますじんじゃ)という場所しかない。場所の哲学というものがあって、それによると、歴史的な場所というものは、表面的なものだけでなく、歴史の闇に隠れた部分をも暴き出して、その意味するところを明らかにしなければならない。歴史の闇に隠れた部分をも暴き出したものに梅原猛の著「飛鳥とは何か」(1986年6月、集英社)がある。これからそれに基づいて、日本書紀と古事記がどのような目的のために書かれたのかを説明したい。それを説明し得るのは日本広ろしと言えども甘樫坐神社(あまかしますじんじゃ)という場所しかないのである。甘樫坐神社(あまかしますじんじゃ)は、まさに「場所の論理」でいうところの「論点や議論の隠された所としての場所(トポス)」なのである。何故なら、 甘樫坐神社(あまかしますじんじゃ)は盟神探湯(くがたち)の行われた「場所」であるからである。

まずは、盟神探湯(くがたち)についての音声による簡単な説明があるので、それを聞いてください。
http://www.city.kashihara.nara.jp/ataka/keniki/kankou/asuka/documents/asuka-018.mp3



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