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2014年7月27日 (日)

霊魂の哲学と科学(その13)

霊魂の哲学と科学(その13)
第5章 霊魂の哲学について(6)
第2節 プラトンの霊魂観(4)

3、霊魂不滅の最終結論(プラトン)

「パイドン」(岩田靖夫、1998年2月、岩波書店)において、シミアスとケベスは、ソクラテスの根本前提(美や善などは、本質的に、それ自体が存在するという前提、すなわち、事物の本質=イデアが存在し、その働きによって事物の形態が決まってくるという前提)に同意しつつも、なお「魂は多数の肉体を何度も着つぶしたのちに最後の肉体をあとに残して今度はそれ自身が滅び去ってしまうのではないか」「人間の肉体の中に入ったこと自体が魂にとっては病気のようなもので、魂はこの人生を惨めに苦しみながら生きて最後にいわゆる死において滅亡するのではないか」という大いなる疑問を拭いさることができない。そこで「パイドン」(岩田靖夫、1998年2月、岩波書店)において、シミアスとケベスを相手にソクラテスの応答が延々と続くのだが、その議論のやりとりの詳細は「パイドン」(岩田靖夫、1998年2月、岩波書店)をご覧戴くとして、ここでは議論の最終結論の部分のみ紹介しておこう。

ソクラテス:身体のうちに何が生ずると、それは生きたものになるのだろうか。
ケベス:魂が生ずると、です。
ソクラテス:すると、魂は、なんであれなにかを占拠すると、そのものに常に生をものとしてやってくるのだね。
ケベス:たしかに、そうです。
ソクラテス:それなら、魂は、自分が常にもたらしたもの「生」とは反対のもの「死」を、決して受け入れないのではないか。
ケベス:まったくそうです。
ソクラテス:よかろう。では死を受け入れないものを、われわれは何と呼ぶかね。
ケベス:不死なるものと呼びます。
ソクラテス:魂は死を受け入れないのではないか。
ケベス:受け入れません。
ソクラテス:それなら魂は不死なるものだ。
ケベス:不死なるものです。
シミアス:僕自身もまた、少なくともこれまで語られてきたところからすれば、もはや不信の念を抱きようがない。しかし、言論に関わってきた事柄の大きさのために、また、人間の弱さを低く評価せざるを得ないために、僕としては語られた事柄に対してなお不安の思いを抱かざるを得ないのだ。
ソクラテス:シミアス、君のその言の正しさは、ただ単にこれらの結論についてだけでなく、あの根本前提についても妥当するのだ。たとえ、それらの前提が君たちにとって信ずるに足るものであっても、それでもより一層明晰にそれらを検討しなければならない。そして、君たちがそれらの前提を充分に分析したならば、思うに、人間にとって付き従うことが可能な限り、君たちはこの言論に付き従うことになるだろう。そして、このことそのもの「根本前提」が明らかになれば、君たちはそれ以上探求しなくて良いだろう。
シミアス:おっしゃることは真実です。
議論の最終結論の部分は以上の通りであるが、プラトンはソクラテスをして最後に言わしめているように、根本前提(美や善などは、本質的に、それ自体が存在するという前提、すなわち、事物の本質=イデアが存在し、その働きによって事物の形態が決まってくるという前提)並びに魂の本質とその形態の問題は今後も探求され続けられなければならないし、それによって人びとの生き方、国家のあり方を模索し続けなければならない。

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