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2014年6月16日 (月)

明日香と阿知王(その12)

明日香と阿知王(その12)

5、 甘樫坐神社(あまかしますじんじゃ)(1)

(1)甘樫坐神社は「論点や議論の隠された所としての場所(トポス)」

国営飛鳥歴史公園はよくできた立派な公園であるけれど、歴史上もっとも画期的な出来事にスポットライトが当たっていないので、私としては大いに不満である。国営飛鳥歴史公園は、祝戸地区、石舞台地区、甘樫丘地区、高松塚周辺地区、キトラ古墳周辺地区の5地区からなっているが、肝心の甘樫坐神社(あまかしますじんじゃ)が 甘樫丘地区に入っていない。すぐ近くにありながら公園区域から外れているのだ。甘樫坐神社(あまかしますじんじゃ)は「明日香村大字豊浦字寺内626」にある。

日本書紀と古事記は画期的な本であるが、それらはどのような目的のために書かれたのか?  それを語る場所としては、日本広ろしと言えども甘樫坐神社(あまかしますじんじゃ)という場所しかない。場所の哲学というものがあって、それによると、歴史的な場所というものは、表面的なものだけでなく、歴史の闇に隠れた部分をも暴き出して、その意味するところを明らかにしなければならない。歴史の闇に隠れた部分をも暴き出したものに梅原猛の著「飛鳥とは何か」(1986年6月、集英社)がある。これからそれに基づいて、日本書紀と古事記がどのような目的のために書かれたのかを説明したい。それを説明し得るのは日本広ろしと言えども甘樫坐神社(あまかしますじんじゃ)という場所しかないのである。甘樫坐神社(あまかしますじんじゃ)は、まさに「場所の論理」でいうところの「論点や議論の隠された所としての場所(トポス)」なのである。



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