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2014年6月17日 (火)

明日香と阿知王(その13)

明日香と阿知王(その13)

5、 甘樫坐神社(あまかしますじんじゃ)(2)

(2)中臣神道

梅原猛が言うように、 記紀神話は、藤原不比等の「祓いの神道」によって作成された神話である。そして、この「祓いの神道」を国家計画化した古事記、日本書紀神話に よって、正に祓いこそ、日本神道最高の、或いは唯一の神事であるかのように思われるようになったのである。実は、藤原不比等の深慮遠謀というテーマで私は天照大神のことを書いたが、その真意は、不比等が政治の安定化のために天皇の神聖化を図ったというところにあった。しかし、不比等の狙いは「祓いの神道」、すなわち中臣神道の創造にあったということは思いもよらなかった。このたび梅原猛の著「飛鳥とは何か」(1986年6月、集英社)を読んで、初めてそのことを知った。まさに眼から鱗が落ちる思いである。梅原猛の慧眼に今更ながら感服している次第である。

「祓いの神道」は、記紀神話を基盤としながら現在見るような神道の形式を整えていく。この中では中臣氏の功績がもちろん大きい。藤原不比等の時代、彼は一族を二つの流れに分割した。即ち、政治を司る 不比等の子孫を藤原姓とし、他を元の中臣姓に戻し、神祇を司らせた。中臣氏は祭祀を職とする氏として歴史に登場する。中臣の姓に戻って神祇を司ることは一 族の誇りでもあった。奈良、平安時代は藤原氏の権勢の許、中臣氏は精力的に、中臣神道がそれ以外の神祀りを駆逐して日本神道の本流となるべく努力した時代だった。
そのような状況の中で、危機感を持ったのが秦氏であり、秦氏の場合は見事に中臣神道に対抗して「八幡大菩薩」を誕生させた。

しかし、そのような中で没落していった忌部氏という名門氏族がいる。忌部氏は古くから神を祀る氏として天皇に仕えてきたが、藤原の政治力を背景にした中臣神道に圧倒され て宮廷の神事から遠のいてしまった。伊勢神宮も、伊勢の地元神としての元来の姿を奪われ、中臣支配の許、皇室の祖先神たるべく神道理論を構築していくので ある。

中臣氏は諸国の神社祭祀を画一化していく。地方独自の祭祀形式は現在にまで一部は残るが、神殿内の祭壇は中央のそれと特に変わる ことはない。中央に鏡、両側に榊を立て、酒、水、塩などを奉る。神社に参ると神主が紙垂を沢山束ねた大麻を振って私たちの不浄を祓い浄めてくれる。祓い浄め、実はこれが中臣神道の真髄なのである。鏡は天照の御魂である。天照は地上に降る孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)に天の岩戸の前に掲げられた鏡を渡して、これを天照と思って大事に祀れ、と言った。このときから鏡 は天照の象徴となった。日本の神々は二種類に分けられる。高天原に発する天津神と土着の国津神である。全国の神社は圧倒的に国津神の社が多い。しかしそれ らの社にも一様に正面に鏡が据えられている。私たちは大国主や大国魂といった国津神の祀られている神社に参って、実は正面の鏡を通して天照を礼拝している のである。神主が大麻を振る姿は誰もが思い浮かべる神官の印象であろう。大麻で以て神主は参拝者の穢れを祓っているのである。この祓え浄めを神道の中心理論として 構築したのが中臣氏であった。

以上の通り、藤原不比等の深慮遠謀によって創られた天照大神と記紀神話によって、中臣神道は日本神道の中心祭祀となったのである。



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