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2014年6月25日 (水)

医心方(その6)

医心方(その6)

第1章 中国伝来文化と医心方

第1節 漂着した外来文化(4)

秦の時代の伝承としては、以上の媽祖伝説の他に「徐福伝説」というのがある。日本が縄文時代から弥生時代へと変わろうとしていたとき,秦の時代の中国に徐福(じょふく)という人物がいた。徐福は長い間中国 でも伝説上の人物だったが、現在では、実在の人物だとされている。徐福は、司馬遷の『史記』の知見をもとに、始皇帝に、はるか東の海に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)という三神山があって仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めに行きたいと申し出た。始皇帝はそれを受け入れ、徐福は、大勢の技術者や若者を伴う大船団を編成し出発。何日もの航海の末にどこかの島に到達した。実際,徐福がどこにたどり着いたかは不明だが,「平原広沢の王となって中国には戻らなかった」と中国の歴史書に書かれている。しかし、一般には、この「平原広沢」は日本であるとも言われている。実は中国を船で出た徐福が日本にたどり着いて永住し、その子孫が「秦」(は た)と称したとする「徐福伝説」が日本各地に存在するのである。徐福が大勢の技術者や若者を伴って日本にやってきたのは間違いない。秦の時代から中国からの伝来文化はあったのだ。この際、私としては、「徐福伝説」を残す日本各地域が連携して、「徐福祭」を催すことを提唱しておきたい。その際、徐福の子孫が中国に現存していると言われているので、そういう人たちをお招きすれば良い。これからの日中友好親善に大いに役立つだろう。

以上のように、日本は、古来、漂着してきた外来文化が日本にとけ込んでいった。しかし、何と言っても中国が隆盛を極めるにつれて外来文化と言えば中国伝来文化と見なされるほど、交易商人ないしは国家的な力による中国からの伝来文化が中心となってくる。以下、そのような中国伝来文化について考えてみたい。



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