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2014年6月28日 (土)

医心方(その9)

医心方(その9)

第1章 中国伝来文化と医心方

第2節 中国伝来文化について(3)

さて、邪馬台国の時代にどのような中国伝来文化があったのだろうか? 

景初2年6月(238年)に女王・卑弥呼は大夫の難升米と次使の都市牛利を帯方郡に派遣して天子に拝謁することを願い出た。帯方太守の劉夏は彼らを都に送った。 首都洛陽への長旅には、きっと交易商人が同行していろいろな便宜を図ったに違いない。 卑弥呼の使者は男の生口(奴隷)4人と女の生口6人、それに班布2匹2丈など多くの献上品を献じた。
皇帝はこれを歓び、女王を「親魏倭王」と為し、金印紫綬を授け、銅鏡100枚を含む莫大な下賜品を与え、難升米を率善中郎将と為し、牛利を率善校尉と為した。下賜品は、金印紫綬や銅鏡の他に、銀印青綬、緑地交龍(赤地にミズチと龍の模様を織る)錦五匹、締地銘粟罫(赤地に細かいケバの付いた毛織物)十張、著締(茜で染めた赤色の 布)紺青(色の布)五十匹、紺地句文錦(曲線的な模様の入った錦織)三匹、細班華罫(細かいまだら模様の入った毛織物)、純白の絹布五張、金八両、五尺刀二 振り、真珠、鉛丹各々五十斤などである。
これらの下賜品については、邪馬台国を大いに刺激し、その後、邪馬台国は交易商人を通じてそれらの品々の生産技術の習得にも努めたものと思われる。朝貢外交というものは、それが契機となって民間レベルの交易を盛んにするという経済効果があるというのが私の考えである。したがって、邪馬台国の時代に、中国から多くの文化が日本に入ってきて、日本文化の形成に計り知れない影響を与えたと私は考えている。しかし、そういう状況の中で、日本の骨格を作るような画期的な中国伝来文化があった。それは100枚の青銅鏡である。青銅鏡については、上述のように、後漢の時代から日本に入ってきていたが、魏王から卑弥呼の送られたという100枚の「三角縁神獣鏡」は、台与の時代になってからではあるが、それまでの銅鐸による祭祀を根本的に変え、鏡による日本の神道の原型がで誕生した。その陰の立役者は物部氏である。上述した丹波王国の古代文化は、若狭から琵琶湖を経て近江王国、そして遂には葛城王国に伝わり、それが、台与の時代、邪馬台国に伝わる。もちろん、文化というものは、その時代時代で新たな発展をするので、邪馬台国の文化は大和朝廷の文化の基礎を成すほど成熟したものになっていた。邪馬台国の文化を象徴する大人物は物部氏である。物部氏を語ることなくして邪馬台国の文化を語ることはできない。ではこれから邪馬台国の文化を象徴する大人物、物部氏については次のホームページに詳しく書いたので、是非、それをご覧戴きたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai10mt.pdf

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