« ちょっと一服 | トップページ | 明日香と阿知王(その2) »

2014年6月 5日 (木)

明日香と阿知王(その1)

明日香と阿知王(その1)

はじめに

医心方は阿知王の末裔・丹波康頼の書いた奇跡の書である。これは古代の漢字で書かれているので、現在の中国人でも現代語に訳すことが難しいとされている。医心方については、日中広しといえども、何と言っても槇佐知子が第一人者である。すなわち、槇佐知子により『全訳精解 医心方』(筑摩書房、全30巻。巻一・巻二・巻二十五は、2分冊刊)が1993年から刊行開始された。これは快挙である。

槇佐知子の『全訳精解 医心方』は、東洋医学の源流を照らす画期的業績で、今では、専門家の間でなくてはならない文献となっている。しかし、私たち一般人にはそれを読むことは金銭的にも内容的にも難しい。しかし、槇佐知子は、『食べものは医薬 「医心方」にみる四千年の知恵』(同上)をはじめ、多くの関連書籍を刊行しているので、私たち一般人もそれらを読んで大変勉強になる。その内、私は、「王朝医学のこころ・・国宝<医心方>に学んで」(2005年3月、四季社)」と「改訂版・病から古代を解く・・大同類聚方探索」(2000年6月、新泉社)と「今昔物語と医術と呪術」(1993年4月、築地書館)と「自然に医力あり」(1997年2月、筑摩書房)の四冊によって、医心方の勉強をした。以下において、槇佐知子の四冊の著書と言えば、この四冊を指している。このことを予めお断りしておく。

そのようなことで「医心方」(原書)は奇跡の書であり、これは専門家でも読むことができないのであるが、槙佐知子のお陰で私たちもその一端に触れることができる。私は槙佐知子の四冊の著書を読んで、強く思うのは「医心方」(原書)は奇跡の書であるということである。平安時代に日本人が、中国ではもうその頃使われていない漢字を使って「医心方」を書くことができたのか、まったく驚きというか不思議ではないか。この「明日香と阿知王」という小論文は、その点に焦点を当てて、阿知王、正式には 阿知使主(あちのおみ)というが、その人の象徴する中国伝来文化の日本に与えた影響の大きさを書くとともに、阿知王の子孫が如何に朝廷に貢献したかを書いたものである。阿知王の本拠地は明日香である。したがって、この小論文は、明日香を本拠地とする阿知王のことを書いたものであるので、題は「明日香と阿知王」とした。

明日香には高松塚古墳やキトラ古墳や石舞台などよく知られている遺跡があるが、それら高貴な方を支えた実力者に阿知王ならびにその子孫である「東漢(やまとあや)氏」がいるのであって、私たちの歴史観を育てるためには、阿知王ならびにその子孫である「東漢(やまとあや)氏」のことを知らねばならない。私は、中国伝来文化の日本に与えた影響というものを考えた時、明日香のもっとも誇るべき光り輝くものは、「東漢(やまとあや)氏」の祖・阿知王ではないかと考えている。その光り輝くものを見るのが「観光」である。明日香の観光の目玉は、阿知王であり、その現実の観光資源としては阿知王を祀る「於美阿志神社(おもあしじんじゃ)」だと私は思う。

« ちょっと一服 | トップページ | 明日香と阿知王(その2) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/56410059

この記事へのトラックバック一覧です: 明日香と阿知王(その1):

« ちょっと一服 | トップページ | 明日香と阿知王(その2) »