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2014年6月 6日 (金)

明日香と阿知王(その2)

明日香と阿知王(その2)

2、 阿知王の子孫が日本を支えた! (1)

「日本書紀」には、「倭漢直(やまとのあやのあたひ、東漢氏)の祖・阿知使主(あちのおみ)、其の子都加使主(つかのおみ)、並びに己が党類(ともがら)十七県を率て、来帰り」と伝わる。
また、『続日本紀』によれば、阿智王は後漢の霊帝の曾孫で、東方の国(日本)に聖人君子がいると聞いたので帯方郡から「七姓民」とともにやってきたと伝わっている。阿知王は、東漢(やまとあや)氏の祖であるが、『続日本紀』には、東漢氏の由来に関して、「神牛の導き」で中国漢末の戦乱から逃れ帯方郡へ移住したこと、氏族の多くが技能に優れていたことが書かれている。

阿知王の末裔、つまり東漢(やまとあや)氏の末裔には朝廷の重臣が多く、彼らはそれぞれの時代に大きな働きをした。その中にかの有名な坂上田村麻呂がいる。 世に出回っている系図によると、坂上田村麻呂の「大叔父」が「医心方」を書いた丹波康頼(たんば の やすより)である。
阿知王の子孫は、都加使主、坂上駒子、坂上弓束、坂上老、坂上大国と続くが、坂上大国の子供に坂上犬飼と丹波康頼(たんば の やすより)がいるという系図があるのだが、坂上犬飼の子供が坂上苅田麻呂であり、その子が坂上田村麻呂であるから、その系図によれば丹波康頼(たんば の やすより)は坂上田村麻呂の「大叔父」になる訳だ。 坂上犬飼と丹波康頼(たんば の やすより)が兄弟だという系図は間違いだという見解もあるので、 坂上田村麻呂の「大叔父」が丹波康頼(たんば の やすより)であるというのはともかく、丹波康頼(たんば の やすより)が本来坂上氏であることは間違いない。 丹波康頼(たんば の やすより)は、本来坂上氏であるが、永観2年(984年)に『医心方』全30巻を編集し朝廷に献上、その功績をもって朝廷より「丹波宿禰」姓を賜り、以来医家として続く丹波氏の祖となったのである。

阿知王は、「中国の医学書80冊」を持って日本にやってきた。そして、その医学書80冊とともに、それを読む漢文の知識が、都加使主、坂上駒子、坂上弓束、坂上老、坂上大国などを経て丹波康頼(たんば の やすより)へと伝承されいったのである。当初、その「中国の医学書80冊」は明日香にあったに違いない。

丹波康頼(たんば の やすより)の子孫は、代々朝廷の典薬頭を世襲し侍医に任じられる者を輩出、その嫡流は室町時代に堂上家となり錦小路家を称した。子孫のうち著名な者としては、『医略抄』を著した曾孫の丹波雅忠、あるいは後世において豊臣秀吉の侍医を務めた施薬院全宗や江戸幕府の奥医師・多紀元孝などが挙げられる。薬学者の丹波敬三がいる。また医家ではないが直系であり、鎌倉にある丹波家、分家である俳優の丹波哲郎・義隆親子や作曲家の丹波明が末裔にあたる。

丹波康頼(たんば の やすより) により朝廷に献上された医心方は、当初宮中に納められていたが、1554年に至り正親町天皇により典薬頭半井(なからい)家(和気氏の子孫)に下賜された。また丹波家においても医心方は秘蔵されていたとされるが、これは、少なくとも丹波氏の末裔である多紀家(半井(なからい)家と並ぶ江戸幕府の最高医官)において幕末までに多くが失われていたとされ、多紀元堅が復元し刷らせている。幕末に、江戸幕府が多紀に校勘させた「医心方」の元本には、半井家に伝わっていたものが使用された。この半井本は、1982年同家より文化庁に買い上げがあり、1984年国宝となっている。現在は東京国立博物館が所蔵している。

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