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2014年6月23日 (月)

医心方(その4)

医心方(その4)

第1章 中国伝来文化と医心方

第1節 漂着した外来文化(2)

黒曜石文化については、次のホームページを参照していただきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/20070901.html

また、黒潮文化については、照葉樹林文化論の他に、次のホームページをも参照していただきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai07.pdf

では、黒潮文化の一つの例として「アタ族」ついて説明したい。

宮本常一は、南方から「アタ族」という海洋民族が渡来したとして、この「アタ族」の船は集団移住のための外洋航海船だから当然構造船のはずで、したがって当然、鉄釘を使用していたとして、アタ族の技術能力を評価し、その技術の中に製鉄技術を推定された。その後、広州で、秦漢時代(紀元前221~西暦220)の大規模な造船工場の遺跡が発見され、その船台から幅6~8m、長さ20mの木造船が建造されたようで、多くの鉄鋳物、鉄釘、鉄棒や砥石などが発見された。それらの技術は、広東省「広州」からの渡来民・アタ族によって日本にもたらされたと見なされている。

また、「アタ族」中心地、現在の南さつま市地方には「にゃんにゃん」の信仰が根付いている。道教の神「にゃんにゃん」はわが国におなじみの道教の神である。 沢史生の「閉ざされた神々」によると、中国の福建省から広東省の海岸に展開する海辺の民「蚤民族」は、もともと閔国(ビンコク、福建)の民だったが、秦の 始皇帝によって蛮族として駆逐され、以後、海辺でかろうじて生息する賤民水上生活者として、実に21世紀に至る今日まで虐げられた底辺の生活を強いられて きたという。秦以降の歴代王朝もこの民族に対する「賤視差別政策」を中断することなく、彼らの陸での生活を決して許さなかった。したがって、彼らは常に海 をさすらい、新天地を求めて島々を渡り歩き、遂に日本にも辿り着いたのである。その地が、南かごしま市である。これが世に言う「アタ族」であり、「阿多隼人」の祖先である。この「アタ族」の信仰する「にゃんにゃん」ならびに道教の神々については、次のホームページに詳しく書いたので是非それをご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/doukyou01.pdf

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