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2014年6月 2日 (月)

宗教哲学のおもむき(その7)

宗教哲学のおもむき(その7)

第2節 人類哲学

そもそも哲学というものは、人間に焦点を当てて思考が重ねられてその体系が出来上がってきた。人間とは何ぞや? 生きるとは何ぞや? という訳である。

しかし、フーコーが言うように、それではいけないのではないか。私もフーコーと同じ認識だ。歴史的な事象というものは、その時々の知恵によって発生しているので、その歴史的な知恵というものの依ってきたる根元を探る必要がある。

知恵の根源、それは宇宙の原理そのものに他ならない。宇宙の原理、それはこの世をこの世を成らしめている原理である。その原理によって歴史的な事象が生じたのである。したがって、御霊信仰は、宇宙の原理によって出来上がったと考えるべきだ。だとすれば、御霊信仰の哲学は、宇宙の原理に関わる哲学でなければならない。

宇宙の原理に関わる哲学、これはなかなか厄介である。哲学は、科学的でなければならないが、通常、非科学的と思われているものの中にも、科学的なものがあるかも知れないからだ。

御霊信仰における怨霊、怨霊の災い、それを無くすための呪力などというものは、現在は、迷信であって、非科学的だと思われている。しかし、非科学的だと言い切れるのか? 私は言い切れないと思う。御霊信仰が歴史的な知恵だとすれは、それを一概に捨て去ることは如何なものであろうか? 私たちは、宇宙の原理を踏まえた新たな哲学を作る必要があるのではないか。

ヘーゲルの宗教に対する理性的な説明、すなわち啓蒙は、現代人に納得のいくものでなければならないが、それは宇宙の原理を踏まえた新たな哲学に基づく現代の思想によらなければならない。

宇宙の原理を踏まえた新たな哲学として、梅原猛が人類哲学というものを提唱しているが、彼のいう人類哲学とはどのようなものか?

梅原猛の著書「人類哲学序説」(2013年4月、岩波新書)、この本は、哲学、とりわけ人類哲学としては、本人も認めている通り不十分だが、草木国土悉皆成仏という天台本覚思想に着眼した洞察力はさすが梅原猛ならではの本であると思う。梅原猛が指摘するように、21世紀のこれから向かうべき世界文明は、生きとし生けるものすべての命を大事にする文明でなければならない。そのためには、思想的に成熟した天台本覚思想とその根拠である法華経に基づく人類哲学が必要である。法華経は、生きとし生けるものすべてが成仏できるという。天台本覚思想は、法華経のそういう教えを引き継いだものである。

草木国土も成仏できるとはどういうことか?  私たち人間はもちろんのこと、草木国土もすべてが宇宙の真理というか宇宙の原理に基づいて存在している。私たち人間は、これから宇宙の原理というものを明らかにして、その原理から外れない生き方をしなければならない。

人間以外の生きとし生けるものは、無心にただひたすら命を大事にして生きている。また、国土という命を持たないものも、宇宙の原理に基づいて存在しているのであるから、もし人間も宇宙の原理にしたがって生きていくのであれば、草木国土といえど、大事にしなければならないのは当然のことであろう。

問題は、宇宙の原理を人類哲学として明らかにしなければならないということであって、今後どのように人類哲学を作り上げていくかということである。梅原猛は、法華経の哲学こそ、宇宙の原理を踏まえた新たな哲学としての「人類哲学」だと言っているのだ。私としては、まずは「法華経の霊性」について哲学的な思考を始めるところから出発して、なんとか「人類哲学」にまで辿り着きたいものだと考えている。

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