« 医心方(その9) | トップページ | 医心方(その11) »

2014年6月29日 (日)

医心方(その10)

医心方(その10)

第1章 中国伝来文化と医心方

第2節 中国伝来文化について(4)

3、飛鳥時代の中国伝来文化(1)

明日香には高松塚古墳やキトラ古墳や石舞台などよく知られている遺跡があるが、それら高貴な方を支えた実力者に阿知王ならびにその子孫である「東漢(やまとあや)氏」がいるのであって、私たちの歴史観を育てるためには、阿知王ならびにその子孫である「東漢(やまとあや)氏」のことを知らねばならない。私は、中国伝来文化の日本に与えた影響というものを考えた時、明日香のもっとも誇るべき光り輝くものは、「東漢(やまとあや)氏」の祖・阿知王ではないかと考えている。

「日本書紀」には、「倭漢直(やまとのあやのあたひ、東漢氏)の祖・阿知使主(あちのおみ)、其の子都加使主(つかのおみ)、並びに己が党類(ともがら)十七県を率て、来帰り」と伝わる。
また、『続日本紀』によれば、阿智王は後漢の霊帝の曾孫で、東方の国(日本)に聖人君子がいると聞いたので帯方郡から「七姓民」とともにやってきたと伝わっている。阿知王は、東漢(やまとあや)氏の祖であるが、『続日本紀』には、東漢氏の由来に関して、「神牛の導き」で中国漢末の戦乱から逃れ帯方郡へ移住したこと、氏族の多くが技能に優れていたことが書かれている。

阿知王の末裔、つまり東漢(やまとあや)氏の末裔には朝廷の重臣が多く、彼らはそれぞれの時代に大きな働きをした。
「都加使主(つかのおみ)」は 大伴室屋直属の部下として活躍するのであるが、その後阿知王の子孫が東漢氏と呼ばれるようになってからは、阿知王の子孫は蘇我氏直属の部下として活躍する。 飛鳥が政治の中心地となるのは蘇我氏の勃興による。蘇我氏が台頭したのは、雄略天皇の頃、蘇我満知(そがの まち)が大蔵の管理をすることになってからである。蘇我氏は東漢氏を中心とする帰化人を管理することによって、経済官僚として登場してきたのである。

この時代は、倭の五王の時代であり、朝鮮半島や中国との軍事的、経済的関係が深 い時代であった。こういう時代に、国際状勢に通じ、文書を書く能力を持っていた帰化人の力がますます必要になり、東漢氏を管理する蘇我氏の力がますます強くなっていったのである。明日香における蘇我氏の遺跡は石舞台をはじめ数多いが、私は、蘇我氏を逆賊だと思っているので、地域の光り輝く観光資源としては推奨できない。しかし、物語としてはけっこう面白いので、蘇我氏のことを書いた私のホームページを参考に供しておこう。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/soganokoto.pdf



« 医心方(その9) | トップページ | 医心方(その11) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1117507/56643361

この記事へのトラックバック一覧です: 医心方(その10):

« 医心方(その9) | トップページ | 医心方(その11) »