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2014年5月 2日 (金)

正義の偽装(その62天皇論5)

「正義の偽装」(その62天皇論5)

ところで、なぜ天皇はわが国国民統合の象徴なのであろうか。わが国の象徴であるから・・・ということでは、答えになっていないとは言わないが、論理的でない ように思われる。富士山はわが国の象徴と考えることもできるが、富士山がわが国の象徴であるからといって富士山をそのままわが国国民統合の象徴と考えるわ けにはいかない。わが国の象徴であることがただちにわが国国民統合の象徴には結びつく訳ではなさそうである。何故か。
『わが国の象徴』という言い方は、国全体を意識し地域性というものを意識しない言い方であろう。いっぽう、『「歴史と伝統・文化」の 象徴』という言い方は、「歴史と伝統・文化」というものが本来「一」であり「多」であることから、国全体を意識し、かつ、地域性というものも意識した言い 方であると言えよう。地域性というものは大事である。「違い」すなわち「多」というものは大事である。「違い」すなわち「多」があるからこそ、統合の価値 が生じてくる。国民というものは「多」であるが、天皇は「一」であり「多」である。「空」と言って良いのかもしれない。天皇は「一」であり「多」であるも のの象徴でなければならない。
天皇の象徴性を支える基盤は、わが国の「歴史と伝統・文化」にある。したがって、憲法の第1条については、『 天皇は、わが国の「歴史と伝統・文化」の象徴 』と書かれなければならない。これが私の主張である。
わが国では、天皇も国民も「違いを認める文化」を生きてきた。「和の文化」を生きてきたといってもいい。それは、両極端を嫌うことでもある。つね に振り子の原理が働いている。したがって、「歴史と伝統・文化」にもとづく天皇という権威が武士による権力によって消えかかろうとするとき、天皇は、非 人、河原者、遊女、芸能民、鋳物師、木地屋、薬売り、海民などの・・・まあいうなれば権力の周縁部にいる人たちの力を借りて、武士の権力に立ち向わざるを えないし、またそれらの人びとも天皇を積極的に守らなければならないのではないか。天皇というものは、権力とも一体不可分であると同時に非権力とも一体不 可分である。どちらに偏してもいけないのではないか。「空」でなければいけないのではないか。

明恵の「あるべきようは」に よって、象徴天皇が誕生した。「物言わぬ天皇」である。「空の天皇である。中沢新一に言わせれば「精霊の王」(講談社、2003年11月)ということにな るが、それがわが国の国体であり、世界に冠たる天皇制という制度がすでに鎌倉時代に確立した。私は、明恵の「あるべきようは」によって、武士は武士らし く、天皇は天皇らしく生きなければならないのだと思う。
 天皇も公家も、将軍も武士も、百姓も町民も、わが国民はみんな「違いを認める文化」、「和の文化」を立派に生きなければならない。自分の考えを相 手に押し付けてはいけない。相手の考えを尊重しなければならない。相手の立場を尊重しなければならない。将軍や武士が天皇や公家をないがしろにするような ことがあってはならない。そういう無意識が後醍醐という「異形の王権」を生んだのだと思う。
天皇は、時により権力闘争に巻き込まれながら、その時代その時代に応じた姿で日本の歴史を生き抜いてきた。したがって、天皇の歴史を語ることは日 本の歴史を語ることに通じる。つまり、天皇を中心に歴史が刻まれてきたと言っても過言ではなかろう。大和朝廷を中心に歴史が刻まれてきたと言っても同じことだ。もっと正確に言うならば、天皇につながる人びととともに日本の歴史が刻まれてきたということだろう。日本の歴史というものは、天皇との係わり合いの 中で推移してきた。政治的権威に裏打ちされながら、天皇家はかくも永く続いてきたのである。天皇を中心とした永い歴史というものがあって、はじめて、現在の日本があるし、未来の日本がある。

 さて、歴史があるからこそ伝統・文化がある。歴史と伝統・文化は一体のものである。したがって、歴史という代わりに「歴史と伝統・文化」という言 葉で言い替えても差し支えないだろう。上記のように、日本の歴史というものは天皇との係わり合いの中で推移してきた。したがって、『 天皇は、わが国の 「歴史と伝統・文化」の象徴である。』と言い得るのである。
ところで、日本の歴史のもっとも誇りうるものは何か。それは日本の歴史の底流を流れる日本民族の精神文化であろうが、私が思うに、それは「違いを 認める文化」である。日本の「歴史と伝統・文化」の心髄は「違いを認める文化」である。天皇は、わが国の「歴史と伝統・文化」の象徴であるが、これを言い 換えれば、天皇は「違いを認める文化」の象徴でもあるということだ。わが国は「違いを認める文化」の象徴である天皇を戴いている。「空」の天皇である。こ れは何とすばらしいことか。

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