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2014年5月 1日 (木)

正義の偽装(その61天皇論4)

「正義の偽装」(その61天皇論4) (2)「空」なる天皇 私は、日本の「歴史と伝統・文化」の心髄は、その「ゆり戻し現象」だと考えている。日本の「歴史と伝統・文化」の心髄は、山口昌男のいう「両義性社会」と言っても良いし(参考1、参考2、参考3)・・・・、中沢新一のいう「対称性社会」と言っても良いかもしれない。私は、私流に・・・「違いを認める文化」とか「両頭截断」 と言っているのだが、この場面では、「ゆり戻し現象」と言った方が判り良い。藤原不比等の手によって律令国家という天皇中心の中央集権国家がまさに完成し た・・・その時に、聖武天皇と良弁のコンビによって、「ゆり戻し現象」が起こって、わが国は「両義性社会」というか「対称性社会」が維持されるのである。 藤原不比等が、紀記を背景につくり挙げた「中臣神道」に対抗して「東大寺の仏教」が誕生する。  すでに触れたように、東大寺は不思議な寺院である。寺院としての性格は、明らかに律令仏教であるが、山林仏教としての性格もすでに色濃く帯びている。その点は、日本の「歴史と伝統・文化」の心髄というものを認識する上で大事な点である。 日本人の自然観は、「人は自然の一部である」というものであり、自然と対立するものではない。自然はさまざまな姿を持つが、その森羅万象のす べてが親近感をもって心の奥に感じられる感覚、それが中沢新一のいうスピリットだと思うが、そういう日本人の感受性、それは日本人の自然観から来ている。 そういう感受性からは俺が俺がという自己主張は出てこない。 対立よりも協調。いろんなものと「共振(シンクロナイズ)」することが大事なのであって、 そもそも日本語は主語がはっきりしな場合が多いのである。要は、日本人の感受性も問題である。日本人の感受性の問題については、前に書いたことがあるの で、次をご覧戴きたい。 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hukuza2.html

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