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2014年5月 7日 (水)

正義の偽装(その68おわりに4)

「正義の偽装」(その68「おわりに」4)

天皇は、時により権力闘争に巻き込まれながら、その時代その時代に応じた姿で日本の歴史を生き抜いてきた。したがって、天皇の歴史を語ることは日 本の歴史を語ることに通じる。つまり、天皇を中心に歴史が刻まれてきたと言っても過言ではなかろう。大和朝廷を中心に歴史が刻まれてきたと言っても同じことだ。もっと正確に言うならば、天皇につながる人びととともに日本の歴史が刻まれてきたということだろう。日本の歴史というものは、天皇との係わり合いの 中で推移してきた。政治的権力に裏打ちされながら、天皇家はかくも永く続いてきたのである。天皇を中心とした永い歴史というものがあって、はじめて、現在の日本があるし、未来の日本がある。

さて、歴史があるからこそ伝統・文化がある。歴史と伝統・文化は一体のものである。したがって、歴史という代わりに「歴史と伝統・文化」という言 葉で言い替えても差し支えないだろう。上記のように、日本の歴史というものは天皇との係わり合いの中で推移してきた。したがって、『 天皇は、わが国の 「歴史と伝統・文化」の象徴である。』と言い得るのである。
ところで、日本の歴史のもっとも誇りうるものは何か。それは日本の歴史の底流を流れる日本民族の精神文化であろうが、私が思うに、それは「違いを認める文化」である。日本の「歴史と伝統・文化」の心髄は「違いを認める文化」である。天皇は、わが国の「歴史と伝統・文化」の象徴であるが、これを言い 換えれば、天皇は「違いを認める文化」の象徴でもあるということだ。わが国は「違いを認める文化」の象徴である天皇を戴いている。「空」の天皇である。これは何とすばらしいことか。

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