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2014年5月 9日 (金)

御霊信仰哲学に向けて(その1はじめに1)

御霊信仰哲学に向けて(その1はじめに1)

はじめに

「佐伯啓思の「正義の偽装」について」と題して、今年の2月3日以降、私の政治論と天皇論を長々と書いてきた。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/saeki.pdf

それもようやく終わり、次の課題に移る時が来た。次の課題は靖国神社における「御霊信仰」の問題である。私は、「佐伯啓思の「正義の偽装」について」という一連の論説の「おわりに」次のように述べた。すなわち、

『 天皇は、わが国の「歴史と伝統・文化の象徴」である。天皇は私たち国民とともにある。「天皇の祈り」というものは、私たち国民の幸せを願ってのもの、国家の安寧を願ってのもの、世界の平和を願ってのものであるに違いない。私たちが天皇のことを思って祈るということはないかもしれないが、私たちは、少なくとも、「天皇が祈る人」であるということは十分認識しておくべきであろう。東日本大震災の後も、不幸な死に方をした人々のために、現地で「祈り」を捧げられた。第二次世界大戦で不幸な死に方をした戦士のためにも、靖国神社に参拝して「祈り」を捧げたいと思っておられるに違いない。それを邪魔しているのは日本の政治だ。 目下、政治が間違っているために、天皇は靖国神社に参拝できないでいる。そういう状況は天皇のご意志に反する。誠に残念なことだ。天皇が心安らかに靖国神社にお参りし、第二次世界大戦で亡くなった戦士の霊を慰める、その状況を作ることが現下の政治家に課せられた責任である。靖国問題が終わらない限り戦後は終わらない。靖国問題を解決するために、政治家の猛反省を促したい。』・・・と。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/saeki14a.pdf


そうなのだ。 靖国問題が終わらない限り戦後は終わらないのだ。靖国問題には、 戦犯東条英機の分祀問題という政治決断だけという単純な問題のほかに、思想的に二つの大変難しい問題がある。日中戦争に対する歴史認識の問題、御霊信仰に基づく新たな儀式の問題という二つの問題である。


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