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2014年5月12日 (月)

御霊信仰の歴史的考察(その2)

御霊信仰の歴史的考察(その2)

私は、これから御霊信仰の成熟した姿として京都の「御霊神社」を取り上げるつもりであるが、その前に、それが創建されるに至るまでの背景、つまり御霊信仰の背景について説明をしておきたい。

「神道史大辞典」(薗田稔、橋本政宣編、2004年6月、吉川弘文社)では、上述したように御霊信仰の起源がきわめて古きにあったことを思わしめると述べているが、実は、御霊信仰の背景として「殺牛祭祀」と「密教の呪力」が重要であるので、それらの説明をしておきたい。



1、殺牛祭祀


「殺牛祭神」については、数多くの論文があるが、その概要を知るには「伊藤信博の論文」が良いようだ。その要点は次の通りである。すなわち、


『 「殺牛祭神」は、「日本書紀」や「類聚三代格」などにも記述の見える牛を殺す儀礼である。この祭祀は、「漢神祭」とも呼ばれ、日本の土着的風習であるのか渡来人に由来する儀礼であるのかについて議論が分かれているが、多様な資料に基づいた先行研究から、この「殺牛祭神」は外来の要素が強いように思われる。』

『 しかし、「殺牛」儀礼は渡来人が持ち込んだものとしても、「殺牛」に何故豊穣との結びつきがあるのであろうか。』

『 開拓が増えれば増えるほど、野生動物達との接触機会も増えていっただろうことは想像に難くない。七世紀前半から八世紀末にかけて、動物に対する観念が大きく変化しつつあることが想定できる。五月五日の「薬猟」などに垣間見る狩猟による邪気の排除と豊穣、武力と権力、その共同体の領有の認知、そして権力者が行う狩猟は、その年の豊凶を占う重要な儀式でもあった。そこには、鹿への神聖視、また鹿など獣害からの防御と豊穣という二重の構造がある。そのような神話的構造から朝廷が水田耕作を勧める過程で、牛馬への依存が実用の意味で高まり(軍事目的も含め)、また、仏教の影響からこれらの動物の保護への姿勢も「殺生禁止」として表われ始める。従って、「殺牛祭神」へ信仰は、渡来人の由来としても、日本に一般的に受容された習俗であったと考える。』

『 「陰」を殺すことによって、新しい生命「陽」が生まれるという思想が「殺牛儀礼」の根底にあるのであろう。「殺牛儀礼」の祭祀によって、農耕にとって重要な牛(陰)を殺すことつまり陰を祓うことで、生命を回復させ、正常な生活への再会の道を開く機能をこの祭祀が持っていたと考えてよい。』

『 「殺牛祭神」はこのような生命の復活、豊穣儀礼の一環として、日本の習俗にも広範囲に広がっていたのであろう。また、天とも結びつく豊穣神としての呪力を持つ共同体の首長は、災禍などから共同体を通常の状態に戻すためにも強い呪術を発揮せねばならなかった。この災禍には、突然起こる疾病も当然含まれ、共同体の首長が医師的な能力をも保持することも必要である。従って、牛を犠牲として、捧げることは、疫病や天災などの罪(陰)をも祓う結果となるのである。』

『 牛を殺すことで、植物や人間の生命が復活し、豊穣となる。また牛を犠牲として、捧げることは、疫病や天災をも祓うことにもなる。このような民衆儀礼、民衆祭祀を在地の長が、執り行うことを禁止する。そして国の祭祀とすることで、在地の勢力増大を抑え、朝廷の政権を安定させる。その結果が、律令政権の再生と全国支配および天皇の強力な呪術性や神聖さの保持ともなる。桓武期にも、多くの天災や疫病が流行し、百姓の逃亡も増えていた。そのような状況下で、呪力を持つ首長として、災禍や疾病などの罪から共同体を通常の状態に戻すためにも強い呪術を発揮する必要があったことが、「郊天祭祀」を挙行し、また、日本の聖域観を強調するため、異国の儀礼(漢神祭)として、民衆が行なう「牛殺」を禁止したのであろう。このような思考が、京師、畿内および日本の聖域化をはかり、天皇がその頂点となる神格化を生む。そして、このような思考が、京師、畿内および日本の頂点となる天皇の神格化を誕生させる。その結果が、やがて個人の「怨霊」が天皇を聖域の中心とする社会全体に疫病や災害などを祟りとして起こす「御霊神」信仰誕生の基礎となったということができる。』・・・と。



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