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2014年5月15日 (木)

御霊信仰の歴史的考察(その5)

御霊信仰の歴史的考察(その5)

嵯峨天皇の823年(弘仁14年)、東寺は空海に、西寺は守敏(しゅびん)に下賜され、ぞれぞれ管主に就く。その以前から空海と守敏とは何事にも対立していたと言われる。824年(天長元年)、即位して間もなくの淳和天皇は、喫緊(きっきん)の政治課題の解決に素早く動いた。7年連続で長引く干ばつに対して、東寺の空海と西寺の守敏に対して祈雨の修法を命じたのである。

守敏が1週間にわたって修法を行うも効果少なく、次に空海が当時大内裏に南接していた神泉苑にて修法を行うが1滴の降雨もない。

調べると空海の名声を妬む守敏により国中の「龍神」が瓶に閉じ込められていた。しかしただ1体、「善女龍王」だけは守敏の手から逃れていたので天竺の無熱池(むねつち)から呼び寄せて国中に大雨を降らせたという。

この「神泉苑での雨乞い伝説」については、次を参照されたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/amagoisin.pdf



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