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2014年4月21日 (月)

正義の偽装(その51補足説明第2号の2)

正義の偽装(その51補足説明第2号の2)

さて、藤沢令夫の説明に戻ろう。原範型イデアとは何か? これがまたむつかしく、プラ トン哲学を勉強できていない私などが人にこの説明をすることはできな い。私には、ホ ワイトヘッドのいう「永遠的対象」の方が説明しよい。ホワイトヘッドの哲学は有機体哲 学と言われるが、すべてのものが変化する世界観から成 り立っている。その変化の中で 名詞的に固定されているものが、ホワイトヘッドの考える「普遍」で、それを「永遠的対 象」というのだが、それがプラトンのい う原範型イデアのことである。それは、私の理
解では、存在というか出来事というか、そういうものの裏にある「真実」ないし「真理」 である。 そ の「永遠的対象」が場所(コーラ)に作用し、変化のエネルギーによって生成という 両親の子が生まれる。場所(コーラ)は、生成の母であるとか、母の子宮で ある。これ はとてもわかり良い比喩だと思うが、そもそもプラトンはどういう背景から場所(コー ラ)というものを考えるようになったのか?  そもそも場所 (コーラ)とは何か?
私は前に、「景観哲学」の関連でオギュスタン・ベルクの「風土学序説」(2002年1
月、筑摩書房)を勉強したことがある。オギュスタン・ベルクの説明は奥が深すぎて判り
にくい。だから私流に、大雑把ではあるが、判りやすく、「コーラ」を説明してみたい。 神話とか民話とかあるいは歴史的な出来事を詳しく知れば、その場所に立ったときに何と もいえない感慨を覚えるものである。その土地にしみ込んだ神話とか民話 とかあるいは 歴史的な出来事が私たちの頭の中に何らかの作用を及ぼすのである。私たちの知識が豊か であればあるほど、また私たちの思いが真剣であればある ほど、土地が私たちに及ぼす その作用は大きい。そして、その作用によって何かが生成するのである。そういう「生成 の場所」、それが「コーラ」だ。

さらに判りやすくするために、コーラとしての「粋場(すいば)」について少々触れてお きたい。私は今日と埋めれ京都育ちであるので、「すいば」という言葉を 使っていた覚 えがある。「粋場」とか「好き場」と書くらしい。自分の特別に好きな場所であり、特に 仲のいい友達には教えてやりたいが、一般的には教えたく ない秘密の場所である。山で あればウサギや狸を良く見かけたり、昆虫が採れドングリや栗が採れたりする。小川であ れば泥鰌やフナがいっぱいいる、そういう 場所である。そういう「すいば」について京 都大学名誉教授の 阪本寧男さんが書いているページがあるので、ここではこれを紹介し ておきたい。   
http://www.showado-kyoto.jp/files/minzoku_repo/minzoku20.pdf

  「すいば」は個人にとってその人とその仲間にとってかけがえのない場所であるが、里 山がそうであるように、全体的には地域のコモンプレイスという性格も あって、地域に とってもかけがいのない場所である。 私は、地域コミュニティには「すいば」が必要で あると思う。京都には民族自然誌研究会というのがあって、いろいろと面白い勉強をして いる。その会があると き「すいば」論をやったことがある(2000 年7月1日)。山田勇 氏(京都大学東南アジア研究センター)が、「『すいば』と生態資源保全」と題して、1 950年代の京都衣笠金閣寺周辺での本人の「す いば」を紹介し、さらに「すいば」風 景の原要素として、場・モノ・うれしさ・テリトリー・仲間が考えられることを述べた。 さらに、山田氏は、ボルネオ、中 国雲南省、カナダ、アマゾン・アンデス、パタゴニア、 フィンランドでの生態資源保全についての調査の旅から、子どものときに経験した「すい ば」への思い入 れが、いろいろな地域においてその土地で生活に必要な資源を有効に生 態保全している人びとの土着の知恵と相通ずるものであることを報告した。この話は大変 いい話で、余分なことは言わないでそのまま受け止めておけば良いのかもしれないが、私 としては、実は、コーラに関連してひとこと言いたいのである。  私は前に「文化というものの土地への帰属性」について書いたことがある。 そこで言いたかったことを今ここの文脈で言えば以下のとおりである。
100年200年経ったとき、何代もにわたって次々と子供たちはその「すいば」でそれぞれ何かを体験し、何かを身につけ、何かを生み出して行く。その何かは人によってそれぞれ異なるであろう。生み出されるものは必ずしも特定されないけれど、何かが生成しているのである。主役は人ではなくて場所である。主役は何かを生み出す場所である。す なわち、「すいば」は「生成の場所」・「コーラ」であるということだ!

これは「生成の場所」・「コーラ」に関する一つの説明であったと思うが、今思うと、 情緒的ではあるが、奥が深くて、かつ、もっと判りやすい説明があるとなお 良いと思 う。そこで、ざっくり言って、「風土」と言い切るのは如何なものであろうか?  オ
ギュスタン・ベルクスタンは、「風土」とはその土地の持つ「歴 史的なおもむき」であ り「自然的な向き」であると言っているので、とりあえず、「生成の場所」・「コー ラ」、それは「風土」であり、その土地の持つ「歴史 的なおもむき」であり「自然的な 向き」であると言っておこう。

人それぞれに「価値観」が違う。では「価値観」というものが何故人それぞれに違ってく るのか?   それは人それぞれに経験する 生成の「場」としての「コーラ」、すなわち ・・・「風土」つまりその土地の持つ「歴史的なおもむき」と「自然的なおもむき」 が 相違するからであるし、人それぞれに習得する「永遠的対象」、すなわちプラトンのいう 「原範型イデア」が人それぞれに相違するからである。

ここでの哲学的な説明は以上であるが、「風 土」つまりその土地の持つ「歴史的なおもむき」と 「自然的なおもむき」 という説明は、哲学的な説明として説明したつもりでもなお情緒的な域を完全には脱していないかもしれない。日本人には直感的にすんなり理解できても、世界的には判りにくいのかもしれない。「風土」について、オギュスタン・ベルクス タンを 超えた、奥が深く、かつ、もっと判りよい哲学的な説明が説明が必要なのかもしれない。

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