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2014年4月13日 (日)

正義の偽装(その44空なる天皇11)

正義の偽装(その44「空」なる天皇11)
第2章 天皇
第2節 私の天皇論
3、天皇の聖性と政治的権力
(2)「空」なる天皇(11)

(2、3)「違いを認める文化」の象徴としての天皇(3) 

 『 コジェーブは、「動物性」に逆行しつつある「アメリカ的生活様式」の普遍化、世界化に警告を発 していたのだ。(中略)・・ そして驚くべきことに、そのように書きつけた直後に、かれは「日本」の問題なるものをもち出している。「アメリカ的生活様 式」とは正反対の道をすすんだ「日本の文明」のモデルをわれわれの眼前につきつけるのである。能楽や茶道や華道などの、日本特有のスノビスム(上品振舞 い)というテーマがそれである。(中略) 
 能楽や茶道や華道などの日本特有のスノビスムの頂点(これに匹敵するものはどこにもない)は上層富 裕階級の専有物だったし今もなおそうである。だが、執拗(しつよう)な社会的経済的な不平等にもかかわらず、日本人はすべて例外なくすっかり形式化された 価値に基づき、すなわち「歴史的」という意味での「人間的」な内容をすべて失った価値に基づき、現に生きている。(中略)
 最近日本と西洋世界との間に始まった相互交流は、結局、日本人を再び野蛮にするのではなく、(ロシア人をも含めた)西洋人を「日本化する」ことに帰着するであろう。 』・・・・と。

 『 眼前に迫りくる世界のグローバリゼーションの大波に抗して立ちつづけようとするとき、すでにわ れわれ自身があのサバイバル・セオリーにがんじ搦(がら)めになっている自画像がみえてくる。「最後の人間」からの脱出口を探し求めて右往左往しているわ れわれの自画像だ。 とすればわれわれははたして、かつて平安時代の三五〇年、江戸時代の二五〇年において実現されたあのパクス・ヤポニカの戦略を今日こ の手で取りもどすことができるのか。明治無血革命を可能にした思想的エネルギーを新たに回復することができるのか。そのように思い屈するとき、この時代の 強大な風圧の下からあの無常セオリーの旋律がきこえてくる。「平家物語」の無常の旋律である。(中略)
 生き残り戦略と無常戦略の対決、そして相互克服の問題である。「歴史の終わり」をのり越えていく第 三の道にかかわる問題といってもいい。それによって「最後の人間」観を塗りかえる転機をつかむことができるかどうか、ということだ。換言すれば、ここでい う生き残り戦略と無常戦略の相反する旋律が、今後はたして調和のとれた二重奏を生みだすことに成功するかどうかということである。(中略) 
 われわれは今日、まさに世紀の分岐点に立たされていると思わないわけにはいかないのである。 』・・・・と。

 山折哲雄が言う「無常の旋律」というものは、私は、結局、「わび」、「さび」、「風流」、「粋(イキ)」な どといった「日本人の感受性」の問題・・・・に通底する問題であると思うのである。そして、そういった「日本人の感受性」というかわが国の「違いを認める 文化」が、世界平和をつくり出していくし、フランシス・フクヤマがいうような「歴史の終わり」をもたらすのではなく、未来の世界文明を切り拓いてい く・・・と考える次第である。

その「違いを認める 文化」の象徴が天皇である。

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