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2014年4月28日 (月)

正義の偽装(その58天皇論1)

「正義の偽装」(その58天皇論1)

1、律令制と天皇の聖性の確立・・・藤原不比等の深慮遠望

天武天皇の命で701年に完成した「大宝律令」に天皇の尊称が初めて明記され、その天皇を中心にした政治組織が完成したのである。律令選定に携わったのは、刑部親王・藤原不比等・粟田真人・下毛野古麻呂らであるが、その中心的役割を果たしのは藤原不比等である。大宝律令の発令は、660年代の百済復興戦争での敗戦以降、積み重ねられてきた古代国家建設事業が一つの到達点に至ったことを表す古代史上の画期的な事件であった。大宝律令において初めて日本の国号が定められ、天皇を中心とした堂々たる国家が成立したのである。
藤原不比等は歴史上いちにを争う偉大な政治家である。その藤原不比等の深慮遠謀について、私の力作がある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai07.pdf

私は、その文書の中で、不比等の功績のうち三つに焦点を当てていろいろと書いた。すなわち、不比等は、阿多隼人の存在を警戒しながらも、彼ら海人族の文化については、その吸収に重大な関心を持って、いろいろと手を打った。その一つは阿多隼人の有する呪力であり、もう一つは天照大神に関する神話と伊勢神宮の創建である。三つ目は、物部一族や秦一族の率いる職能集団の統括である。それらは、上記の文書を読んでいただくとして、ここでは、天照大神について紹介しておきたい。
シャーマニズムは、古モンゴリアンの文化である。日本はその文化の中にある。卑弥呼も台与もシャーマンである。その伝統を復活させたのは,不比等である。不比等は、伊勢神宮をして,天皇の祖神として天照大神を祀ると同時に,天皇をシャーマンにしつらえたのである。これは、卑弥呼や台与の祭祀の復活であって、政治的権力は藤原氏にある。不比等はそれを主張したかったのである。それが、記紀の基本的な姿勢である。不比等は、天皇を前面に押し立てながら、己の権威を保持しようとしたのである。これは、素晴らしい考えであると思う。天皇を支える腹心が権力闘争に明け暮れてはいけない。それは、今も変わりはない。わが国の国是は、あくまでも天皇を中心として、まとまっていく国なのである。そのような国是を作ったのは不比等である。そう意味から、私は,記紀の素晴らしさを高く評価したい。そのような評価をした上で、記紀を分析検討しなければならない。

記紀における神話や物語は、大きな歴史的価値を有している。
天皇の「聖性」は、天皇の皇祖神である「天照大神」と神祇官による宮中「八神殿」における祭祀によって確立した。そして、それらの神々は史記の編纂によって誕生したのである。天皇の「聖性」の付与が史記編纂の目的といえばちょっと言い過ぎであるが、史記編纂にはそういう目的もあったのである。これら一連のことがらはすべて藤原不比等の深慮遠謀によってなされたのである。天皇の「聖性」は藤原不比等の深慮遠謀によって確立した、このことが私のいちばん言いたいことである。

神祇官と「八神殿」については、次にやや詳しく説明したので、それを是非ご覧頂きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hassinden.pdf

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