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2014年4月27日 (日)

正義の偽装(その57補足説明第6号)

正義の偽装(その57補足説明第6号)

今後、ジョン・グレの思想とも関連して「再魔術化」ということが重要である。 これは前に書いたものの再掲であるが、「再魔術化」に関する私のペーパーを 紹介しておく。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tanaba02.html

ジョン・グレが言う通り、現在の「科学原理主義」が間違っている。したがって、私は、「再魔術化」の必要性を主張しているのだが、再魔術化を図る場合、おり入りやすい罠がある。これにはよほど注意しないととんでもな いことになる。  世の中の出来事には、科学的に考えて絶対に起こりえないと断言できるものがある。 しかし、実は、科学的に説明できないけれど、ひょっとしたら起こりうるかもしれないと いうものもけっこう多 い。その灰色の領域がくせ者で、科学的に起こりえない領域と灰色の領域の境目をどう認識するか、そこが大問題で、よほど注意しないととんでもないことにな る。
科学的に起こりえないにもかかわら ず起こりうるとするのはオカルトの世界であり、 これは非科学的な世界である。灰色の領域はオカルト的であるかもしれないが非科学的な 世界ではない。科学的に起こりえない領域と灰色の領域の境目は、オカルトの世界、す なわち非科学的な世界と必ずしも非科学的とは断言できない世界との境目である。非科学 的とは断言できない世界は、オカルト的かもしれないし科学的に説明できないけれど、 ひょっとしたら起こりうるかもしれない世界であり、科学的な世界に含めて良 い。すな わち、科学的に考えて起こりうると断言できる世界だけを科学的な世界だと・・・硬直的 に考えるのは間違いである。科学的という言葉の意味を硬直的 に考えるのではなく、よ り弾力的に考えるべきなのである。

魔術の世界は、そのような認識に立っ た上での・・・科学的な世界の事である。オカ ルト的な色彩を含んではいるが、非科学的な世界ではなく、科学的な世界なのである。再 魔術化とは、非科学的な 世界を認めようとするものではない。そうではなくて、科学的 な世界をもっと広げようとするものである。
  しかし、冒頭に述べたように、 再魔術化を図る場合、おり入りやすい罠がある。これ にはよほど注意しないととんでもないことになる。世の中、あまりにも非科学的なことを いう人が多く、 かってカール・セーガンが「科学と悪霊を語る」という本を書いて世の 中の非科学的な風潮に対し警鐘を鳴らした。共鳴しうる点が多かったので、かって私の ホームページ(掲示板)に紹介した。10年ほど前の事である。七夕祭りとは直接関係ないが、彼の見解はまさに科学的だと思うのであらためてここに再掲しておきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/rire011.html

以上のようなことを十分 認識した上で、七夕祭りの魔術化をどう図るか。そこが大問題で、私は、哲学者、人類学者、宗教学者、天文学者、地質学者、生物学者、生命形態学 者、考古学 者、歴史学者、文学者、詩人、音楽家など多くの学者や芸術家の活躍が必要 であると思う。とりわけ、私は、中沢新一の芸術人類学に大きな期待を寄せている。
したがって、私などの浅学未熟な者が 七夕祭りの再魔術化について思いを言うなど、誠 におこがましい限りであるが、未熟ながらもそれなりに勉強してきて、近頃、私の考えを どうしても皆さんに聞 いてもらいたいという思いが募って来た。そこで勉強の成果を逐次 申し述べる事としたい。まず私の基本的な認識を言えば、次のとおりである。

『 私たちは、「地球の子ども」であ る。すなわち、私たちを生み出してくれたもの は、この地球であり、母である。地球は母である。母は地球である。この事をどう考えるかが七夕祭りの再魔術化 を図る場合のキーポイントとなるが、それにはプラトンの 「コーラ」とか風土というものに対する理解が必要であろう。』

『 西王母と七夕の伝承との関係が、物 語的な伝承の段階になって初めて結合したもの ではなく、両者の関係の基礎はより古い季節の祭礼の中にまで遡り得るものであったであ ろう。古層の神に対する 信仰の構造に思いを馳せながら、さまざまな信仰というものの 構造を考えた上で、七夕祭りの再魔術化を構想すべきである。』

『 中村雄二郎の<汎リズム論>はもち ろんの事、三木成夫やJ・E・ベーレンの思想を 踏まえながら、七夕祭りの再魔術化を進めていくべきだろう。彼らの哲学や思想をどう子 どもたちに語っていく のか・・・。難しい事をやさしく語るほど難しい事はない。しか し、七夕祭りの再魔術化にあたっては、今後、そういう語り部を地域につくっていくべき ではな いか。』

以上が前に書いたものの再掲であるが、先に述べたように、宇宙との響き合い、自然との 響き合い、人々との響き合い、これらはすべて「リズム振動」の共振性に よるというこ とらしい。こうした中村雄二郎の<汎リズム論>はまことに摩訶不思議な世界であるが、 これが新しい科学であることは疑いが無いように思われ る。 私は、この種の新しい哲学によって、宗教、神話、祭りの「再魔術化」を図ることができ るよう、中沢新一や森岡正博らの日本の哲学者の活躍を大いに期待した い。私たちにで きることは、そういう「再魔術化」の実践活動であり、科学原理主義を廃すると同時に非科学的なオカルトを廃し、自然をよくよく見つめ、自然 というものに驚きを見出すこと である。中村雄二郎のいうように、ゲーテの「自然観」に学ぶことである。

ジョン・グレイは、老荘思想に傾倒しているようで、「わらの犬」では最後に「人生の目 的は、ただ見ることだけと考えたらいいではないか。」と言っている。まあそういう生き 方もあるかもしれない。しかし、私はもっと積極的であって、明恵のような生き方が最高であると思っている。

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