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2014年4月 7日 (月)

正義の偽装(その38空なる天皇5)

正義の偽装(その38「空」なる天皇5)
第2章 天皇
第2節 私の天皇論
3、天皇の聖性と政治的権力
(2)「空」なる天皇(5)

(2、2)日本の「歴史と伝統・文化」の象徴である天皇(1) 

 なぜ天皇はわが国国民統合の象徴なのであろうか。わが国の象徴であるから・・・ということでは、答えになっていないとは言わないが、論理的でない ように思われる。富士山はわが国の象徴と考えることもできるが、富士山がわが国の象徴であるからといって富士山をそのままわが国国民統合の象徴と考えるわ けにはいかない。わが国の象徴であることがただちにわが国国民統合の象徴には結びつく訳ではなさそうである。何故か。この点につき少し考えてみよう。
 ところで、なぜ天皇はわが国の象徴なのであろうか。『 そりゃあ決まっている。わが国は、天皇とともに歴史を刻んできたし、天皇とともに伝統を作ってきたし、文化をつくってきたからだ。 』・・・と答える人が多いかもしれない。しかし、こういう言い方はおかしい。
 わが国を、わが国民と置き換えてみよう。はたして、わが国民は、天皇とともに歴史を刻んできたであろうか。はたして、わが国民は、天皇とともに伝 統や文化をつくってきたであろうか。なんとなくそのように思うかもしれないが、深く考えればこういう言い方のおかしいことが容易にわかるはずだ。たとえ ば、アイヌは日本人であるが、はたしてアイヌは天皇とともに歴史を刻んできたであろうか。はたして、アイヌは天皇とともに伝統や文化をつくってきたであろ うか。そうでないことはすぐに判る。
 「歴史と伝統・文化」というものは、それぞれの地域にそれぞれのものがあるのであって、「違い」がある。「多」である。いっぽう、日本の「歴史と 伝統・文化」というときは、それぞれの地域の「歴史と伝統・文化」の共通点をいうか、代表的なものをいうことになるだろう。共通点にしろ、代表的ものにし ろ、「一」である。「歴史と伝統・文化」というものは、本来「多」であり「一」である。「わが国」とか「わが国民」というものは、ひとつがあるだけで、 「一」である。「多」ではない。
 したがって、『わが国の象徴』という言い方は、国全体を意識し地域性というものを意識しない言い方であろう。いっぽう、『「歴史と伝統・文化」の 象徴』という言い方は、「歴史と伝統・文化」というものが本来「一」であり「多」であることから、国全体を意識し、かつ、地域性というものも意識した言い 方であると言えよう。地域性というものは大事である。「違い」すなわち「多」というものは大事である。「違い」すなわち「多」があるからこそ、統合の価値 が生じてくる。国民というものは「多」であるが、天皇は「一」であり「多」である。「空」と言って良いのかもしれない。天皇は「一」であり「多」であるも のの象徴でなければならない。
 以上の観点から言って、憲法の第1条については、『天皇は、わが国の象徴・・・云々』と言うより、『天皇は、わが国の「歴史と伝統・文化」の象徴・・云々』と言ったほうが良い。天皇は、「空」であるからこそ、「一」であり「多」であるものの象徴でなければならないのである。天皇は「空」である。それが私の年来の主張である。

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