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2014年4月23日 (水)

正義の偽装(その53補足説明第4号の1)

正義の偽装(その53補足説明第4号の1)

場とは何か。清水博は「場の思想」(2003年7月、東京大学出版会)のなかで次の ように言っている。 すなわち、
『 場とは何かと聞かれたときに、私は次のように答えることが多い。「あなたの体を つくっている細胞の一つを想像してください。その細胞があなたの生命 (あなたの体全体 に宿っている生命)をどのように感じるでしょうか。あなたがその細胞になったつもりで 考えてください。そのときにあなたが感じるもの、そ れが場なのです。」分かりやすく言 えば、場とはこの場合は自分を包んでいる全体的な生命の活き(はたらき)のことであ る。 』・・・・と。

清水博によると、生物の細胞にはいろんな細胞があって多種多様である。そういう何億と いう多種多様な細胞が一つの生命のなかで共に存在している。共存在している。清水博 の定義によると、「共存在とは、異なる個性や生き方をする多様な存在者が一つの場を共 有して調和的に存在すること」だそうだが、何億という 細胞は一つの生命のなかでまさ に共存在しているのである。ガン細胞というのは、調和を壊す細胞であるから、共存在で きない細胞であるという言い方もでき る。生きているということは、共存在者が調和を 保ちながら一つの体に存在しているということである。共存在者が調和を保ちながら存在 しているところを「場」という。人間というものも、細胞の身になって考えたとき、多種 多様な共存在者が存在するひとつの「場」である。したがって、私たちは、「生きている ということ」に感動するということは、細胞の身になってそういう「場」の神秘というも のを感じるということである。

それを哲学的にいえば、純粋生命を感じるとか、絶対無の場所を感じるとか、純粋な述語 性を感じるとかいうのである。
まあ、むつかしいことはいい。しみじみと「生きていること」に感動すれば良いのであ る。「生きていること」に感動し、ワクワクすれば良いのである。そういう 体験を何度 かしていると、「純粋生命」とか「絶対無の場所」とか「純粋な述語性」とか共存在の神 秘を直感的に理解することが可能になるのではないか。ま た、そういう体験を何度かし
ていると、「共存在とは、異なる個性や生き方をする多様な存在者が一つの場を共有して 調和的に存在すること」であるということ が分別でき、違いを認めることが当たり前に なるのではないかと思う。「共存在」である。一般的な言葉でいえば、「共生」である。

「共生の思想」は清水博いうところの「場の思想」である。是非、皆さんも、清水博の 「場の思想」(2003年7月、東京大学出版会)を読んで欲しい。

清水博の「場の思想」(2003年7月、東京大学出版会)は大変むつかしい本だが、 大変役に立つ本である。清水博先生は、1932年生れであるので私より6年上であ る。東京大学の薬学部を卒業され薬学博士であるので、薬の先生かと思ったらとんでもな い。大学院時代は化学物理学を学ばれ、ハーバード大学やス タンフォード大学でも研究 生活をされたことのある生命学の大先生なのである。生命に関する学問をバイオホロニス というが、先生の研究は生命というものを分 子のレベルから解明しようとするもので、 もちろん世界最先端の研究である。先生は、九州大学理学部教授の後、東京大学薬学部の 教授、定年後は金沢工業大学 で「場の研究所」をはじめられたりしている。その行きつ くところは当然かもしれないが、もともと生命学の大先生が哲学書かと見まちがう本を出 されたのであ る。これはもうどうしても読まなければならない。哲学を勉強するものの 必読の書だ。

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