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2014年4月10日 (木)

正義の偽装(その41空なる天皇8)

正義の偽装(その41「空」なる天皇8)
第2章 天皇
第2節 私の天皇論
3、天皇の聖性と政治的権力
(2)「空」なる天皇(8)

(2、2)日本の「歴史と伝統・文化」の象徴である天皇(4)

 わが国では、天皇も国民も「違いを認める文化」を生きてきた。「和の文化」を生きてきたといってもいい。それは、両極端を嫌うことでもある。つね に振り子の原理が働いている。したがって、「歴史と伝統・文化」にもとづく天皇という権威が武士による権力によって消えかかろうとするとき、天皇は、非 人、河原者、遊女、芸能民、鋳物師、木地屋、薬売り、海民などの・・・まあいうなれば権力の周縁部にいる人たちの力を借りて、武士の権力に立ち向わざるを えないし、またそれらの人びとも天皇を積極的に守らなければならないのではないか。天皇というものは、権力とも一体不可分であると同時に非権力とも一体不 可分である。どちらに偏してもいけないのではないか。「空」でなければいけないのではないか。
 中沢新一は、「網野善彦を継ぐ」(中沢新一、赤坂憲雄共著、2004年6月、講談社)のなかで次のようにいっている。
 『 カントローヴィッチ(1895~1963。ドイツ領ポーランドに生まれてアメリカに亡命した世界的な歴史家。その著「王の二つの身体」は西欧 中世政治思想や王権観念の歴史のすぐれた研究として評価されている。)がいうのは、王が生き死にする身体、具体的な身体のことですね。これは歴代天皇のこ とです。もう一つは、天皇が死んでも持続していくような法人としての天皇ですね。これがだいたいヨーロッパの王権を考えるときの、二つのテーマですね。そ れ以上は考える必要がない。
 ところが天皇制では、もう一つの身体を考えなければいけなくなってくる。それを「精霊の王」では、ぼくは「翁としての体」と表現したわけですけれ ども、芸能的な構造として表現される身体性ですね。この芸能をとおして表現される身体性というものの根源をたどっていくと、これはとても深いところへ降り て行ってしまう。近代的思考が普通、天皇制を処理できると考えている天皇、つまり王権性と天皇を結びつけて処理できる天皇というものは、この第三の身体に 及んでいないんですね。
 ところがこの第三の身体が、現実の政治場面ではなばなしく活動したことがあって、それが後醍醐天皇の南北朝動乱期にあらわれてきた身体だと思うん ですね。網野さんは、この身体のことを強調した。今後、日本人が天皇制というものを存続させていくか、消滅させていこうとするのか、そういう決定をすると きの前提材料を歴史学は研究しなければならないけれども、そのためには天皇制がいちばん深いところで、いったいどこまでつながっているのか見届ける必要が あるというのが、網野さんのスタンスだったと思います。
 「異形の王権」が見い出したのは、この根っこがものすごく深いところでつながっているということでした。それはどういうところへつながっていった かと言うと、どうもこれは自然につながっている。それは温泉を支配したり、滝を支配したり、山を、あるいは森を支配したりする。アジールとしての森ですよ ね。そういうアジールを支配するような天皇というのがそこに出てきちゃう。そうすると、「無縁・公界・楽」(網野善彦、1978年、平凡社。1996年、 平凡社ライブラリーに収録。同著で網野氏は、「無縁」「公界」「楽」の場は民衆生活の中に生み出された自由・平和・平等の場であり理想郷への志向を示して いるとし、そこに貫かれる「無縁」の原理の現象形態、作用の仕方の変遷をたどることで、人類史・世界史の基本法則を捉えることが可能になると宣言してい る。)が問題としていた人間の自由の根源というものと、天皇のもう一つの身体性というものがそこでつながっちゃうわけですよね。これを今までの歴史学者 も、天皇制を批判する側も、本当に問題にしてきただろうかと、そのことを「異形の王権」は、問題にしたかったのだと思います。』・・・と。

 明恵の「あるべきようは」に よって、象徴天皇が誕生した。「物言わぬ天皇」である。「空の天皇である。中沢新一に言わせれば「精霊の王」(講談社、2003年11月)ということにな るが、それがわが国の国体であり、世界に冠たる天皇制という制度がすでに鎌倉時代に確立した。私は、明恵の「あるべきようは」によって、武士は武士らし く、天皇は天皇らしく生きなければならないのだと思う。
 天皇も公家も、将軍も武士も、百姓も町民も、わが国民はみんな「違いを認める文化」、「和の文化」を立派に生きなければならない。自分の考えを相 手に押し付けてはいけない。相手の考えを尊重しなければならない。相手の立場を尊重しなければならない。将軍や武士が天皇や公家をないがしろにするような ことがあってはならない。そういう無意識が後醍醐という「異形の王権」を生んだのだと思う。

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