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2014年4月 5日 (土)

正義の偽装(その37空なる天皇4)

正義の偽装(その37「空」なる天皇4)

第2章 天皇
第2節 私の天皇論
3、天皇の聖性と政治的権力

(2)「空」なる天皇(4)
(2、1)日本の「歴史と伝統・文化」の心髄(4)

 私は前に、老松克博の「漂泊」という概念(「漂白する自我」、老松克博、1997年10月、新曜社)に触れて次のように述べたことがある。すなわち、
『 日本の文化を貫く特徴として「漂泊」というものがある。俳句や能、歌舞伎、浄瑠璃など日本の代表的な文化には漂泊的なものが多い。「漂泊」は、私たち の行動パターン、つまりライフスタイルとの関係で言えば、「今が一番大事」という仏教で言うところの「無常観」、そういう世界観を持って生きていこうとす る生き方である。悪くいうと刹那主義になるかもしれないが、すべてが起こっては消えていく中で、そこに生きる意味、価値を見出していこうとするもの、それ が「漂泊」だ。老松克博氏によれば、西洋の「定住的な自我」に対し、日本人の自我には漂泊的な部分が多い。私たちは私たちの文化を生きていかなければならないが、それはとりもなおさず日本人の自我の特性・・・「漂泊」を生きていくということだ。その際、大事なことは、「共振」ということだ。漂泊を生きるには、今の言葉で言えば「縁(シンクロニシティー)」というものを信じることが大事であり、そ のためには旅にでて、いろんなものと「共振(シンクロナイズ)」して、「縁」というものを実感することである。「袖触れ合うも他生の縁」。・・・仏教で言 うところの「無常観」の中から逆に積極的な生き方が見出されていく。「共振」は、離れていて関係がなさそうなのに通じ合うということだが、それは定住的な ものの見方からはでてこない。「共振」は「漂泊の旅」の中にある。』・・・と。

 日本人は、中村雄二郎に言わせれば、「述語の世界」に生きているということだが、よく言われるように、日本人はあまり自己主張をしない民族である。これは何故か???
 岸本英夫によれば、それはどうも「自然環境に対する親近性」からくるらしい。岸本英夫は、日本人の基本的パーソナリティ特性として日本人の直感性と日本人の内向性のほかに、日本人の「自然環境に対する親近性」を挙げ、次のように説明している。すなわち、
『 自然に対する親近性は、日本の風土的条件によるものであろう。日本は、自然に恵まれている。日本は、温帯に位して、気候は温和、降雨量は多く、水は豊富で ある。肥沃な土地で、農耕が行なわれ、十分な生産を保証した。これを、たとえば荒涼たるアラビアの砂漠に文化を展開したセム民族の感興条件と比べてみれ ば、大変な違いである。亜剌比亜砂漠に住む人々は、生命を戦いとらなければならなかった。生きるためには自然と戦うことが必要であった。日本の住民は、自 然と協力していればよかった。自然に身をまかせていれば、生きることができた。したがって、自然に対して、おのずから親しさを感じた。自然の恩恵に対し て、感謝の態度を持つようになった。このようにして、自然に対する親近感が、基本的なパーソナリティ特性となったと考えられよう。』・・・と。

 そうなのだ。日本人の自然観は、「人は自然の一部である」というものであり、自然と対立するものではない。自然はさまざまな姿を持つが、その森羅万象のす べてが親近感をもって心の奥に感じられる感覚、それが中沢新一のいうスピリットだと思うが、そういう日本人の感受性、それは日本人の自然観から来ている。 そういう感受性からは俺が俺がという自己主張は出てこない。 対立よりも協調。いろんなものと「共振(シンクロナイズ)」することが大事なのであって、 そもそも日本語は主語がはっきりしな場合が多いのである。要は、日本人の感受性も問題である。日本人の感受性の問題については、前に書いたことがあるの で、次をご覧戴きたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hukuza2.html

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