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2014年4月19日 (土)

正義の偽装(その49補足説明第1号)

佐伯啓思の「正義の偽装」に関連して、私の政治論と天皇論を長々と書いてきて、それをここにアップしてきた。それもようやく終わり、次の課題に移る時が来た。今までの作業を終わるにあたって、今まで書いてきたものを振り返ってみると、総論を紹介したために各論が抜けていたり、逆に、各論に入りすぎたために全体が見えにくくなったところがあったようだ。前者は、第1章第1節のジョン・グレイの政治哲学の部分であり、後者は第2章第2節の私の天皇論の部分である。そこで、これからしばらくの間、ジョン.グレイの政治哲学に関する各論点的な課題と私の天皇論の要約を今までの補足説明としてアップすることとしたい。

補足説明の第1号は、第1章「自由主義と民主主義について」の第1節「究極の自由主義」に関連する内田樹の「日本辺境論」である。それに続いて、「価値観は何故人それぞれに違うのか?」、「精霊万年」、「暫定協定自由主義とスピリット(精霊)」、「宗教、神話、祭りの再魔術化」、「 再魔術化の罠」というテーマで私らしい話をしたいと思っている。

正義の偽装(その49補足説明第1号)

私は、「自由主義と民主主義」を論ずる上での基本教材として、ジョン・グレイの「暫定協定自由主義」、私流にいえば「究極の自由主義」であるが、『自由主義の二つの顔・・・価値多元主義と共生の政治哲学』 (松野弘監訳)の・・・「日本語版への序文」と 小林正弥・宮崎文彦の解説を紹介する事によって 、ジョン・グレイの思想を詳しく説明した。

ジョン・グレイは、30年間に渡って、世界のすべての自由主義論者の 政治哲学を批判的に研究し、遂に「暫定自由主義」という政治哲学 に辿り着いたのだが、それは今までの自由主義とは根本的に異なるものであり、欧米社会にはなかなか受け入がたいかもしれない。しかし、彼の「暫定協定自由主義」という政治哲学は、私たち 日本人には当然の事としてすんなり受け入れる事ができる。私たち日本人は、日常茶飯事 のごとくそうしているからである。

これからその事について説明していくとして、最初に、念のため言っておくが、政治家や 有識者は当然「世界に通用する自分の考え」を持たねばならないのであって、 自分の主義主張を大いに語らねばならない。侃々諤々の議論はやはり必要である。しかし、お互いの主義主張が衝突したとき、やはり相手の立場も理解するとい う態度が重要である。そ れがジョン・グレイのいう「暫定協定」、私流にいえば「共生」であるが、そういう妥協 が肝要である。

さあ、それではこれからジョン・グレイの政治哲学を私流に説明していきたいと思うが、 その前に、内田樹の「日本辺境論」(2009年11月、新潮社)の要点を紹介しておき たい。

内田樹は、『 日本社会の基本原理・基本精神は、「理性から出発し、互いに独立した平 等な個人」のそれではなく、「全体の中に和を以て存在し、・・・・一体 を保つ<全体 のために個人の独立・自由を没却する>ところの大和」であり、それは「渾然たる一如一 体の和」だ、というのである。(・・・・)言いかえれ ば、「和の精神」ないし原理で 成り立っている社会集団の構成員たる個人は、相互のあいだに区別が明らかでなく、ぼん やり漠然と一体をなしてとけあってい る、というのであり、将にこれは、私がこれまで 説明してきた社会関係の不確実性・非固定性の意識にほかならないのであって、わが伝統 の社会意識ないし法意 識の正確な理解であり表現である、と言うことができ
る。』・・・という川島武宣(たけよし)の考えを紹介したあと、次のように言ってい る。すなわち、 『 主 義主張、利害の異なる他者と遭遇したとき日本人はとりあえず「渾然一如一体」 の、アモルフォスな、どろどろしたアマルガムをつくろうとします。そこに圭角 (けいか く)あるもの、尖ったものを収めてしまおうとする。この傾向は個人間の利害の対立を調 停するときに顕著に現れます。 戦後制定された調停制度を普及させるために、委員たちに配布された「調停かるた」とい うものがあったそうです。<かるた>に曰く。<論より義理と人情の話し 合い>、<権利義務などと四角にもの言わず>、<なまなかの法律論はぬきにして>、<白黒を決めぬ ところに味がある>。一読してびっくりしたのは、これが 日々学内外のさまざまなトラ ブルに遭遇して、その調停にかかわるときに、私の口を衝(つ)いて出る言葉そのままだ からです。川島はこのようなマインドは、 <和を以て貴しとなす>と日本最初の憲法に掲 げられてから変っていないと書いています。たしかに変っていない。それは確信を込めて 申し上げられま す。」・・・・と。

何故そのような国民性になったのか?  その理由は、 内田樹は、日本語の世界で唯一と いって良いその「言語構造」にある言っている。日本語は、ご承知のように、「表意文 字・漢字」と「表音文字・かな」からなっているが、実は、その二つの言語は、脳の中の 二つの相異なる部位で司(つかさ)どられているのだそう だ。一つの部位は「合理」を 司どり、もう一つの部位は「情緒」を司どっているという訳ですね。考えるということ は、言葉で考える訳なので、言葉そのものに 情緒的なものがあれば、考えにも情緒的なものでてくるのは当然で、合理主義一点張りではいかないのである。

内田樹は、日本人はそういう国民性というか遺伝子的要素を持っているので、それに徹 していけば良いというような趣旨のことを言っているが、その点について は、私はやや意 見を異にする。私は、これからの国際社会において、日本は、ジョン・グレイの「暫定協
定自由主義」という政治哲学を擁護すると同時に、一般哲学の分野においても、合理的 で、かつ、日本人らしい「哲学」を打ち出していくべきだと思う。中沢新一や森岡正博な ど日本の哲学者に大きな期待を寄せてい る。

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