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2014年3月14日 (金)

天神信仰(3)

天神信仰について(3)

2、文子天満宮(1)

北野天満宮の本殿のすぐ近くに文子天満宮という小さなお宮がある。これは由緒正しきお宮であって、北野天満宮のそもそも何たるかは、小さなお宮から話を始めないと理解できないであろう。菅原道真に関する「文子天満宮祭」というのがあるが、この祭りは、毎年一度祭りの日に、菅原道真の御霊(みたま)にこの小さなお宮へお帰りいただく祭りである。なぜ、菅原道真の御霊(みたま)が北野天満宮の本殿ではなくこの小さなお宮に帰らねばならないのか? 皆さんには是非それを知っておいてほしい。

この小宮は正式には末社文子天満宮社といい北野天満宮境内の末社 (境内北東に鎮座)である。平野神社の正面入り口を東に少し歩くと、北野天満宮の裏門があり、それを入るとすぐのところだ。北野天満宮の正式参拝をすませて、末社文子天満宮社をお参りし、桓武天皇の母・高野新笠ゆかりの平野神社に参拝、金閣寺に向かうのもなかなか良い散歩道だ。途中に「わら天神」という由緒正しい神社もある。


さて、北野天満宮の末社である文子天満宮社の元宮に文子天満宮というのが東本願寺の少し東にある。菅原道真の託宣により京都で一番最初に菅原道真をお祀りしたお宮である。
菅原道真の乳母だったといわれている多治比文子のもとに、菅原道真かの託宣が下りたといわれているのは 天慶5年 (942)のことである。多治比文子 の夢枕に立った菅原道真は「北野の右近馬場に社殿を造って自分を祀ってほしい」と述べたが、多治比文子にはとても社殿を建てる経済力はなく、自宅の ある西京七条二坊の土地の一角に祠を建てて祀ったのが菅原道真公を天神として祀ったきっかけだと言われている。

これから後、北野天満宮の末社である文子天満宮社を単に文子天満宮社と呼び、その元宮である神社を文子天満宮と呼ぶこととする。文子天満宮の入り口には「天神信仰発祥の神社」という石碑が立っている。

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