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2014年3月22日 (土)

浄蔵(3)

浄蔵(3)

浄蔵についてはもうひとつ不思議な話がある。それは「葉二(はふたつ)」の笛の話だ。

朱雀門は、大極殿のある大内裏(だいだいり)に入る門であり、その外は俗なる世界、内は聖なる世界という、いうなれば世界をわける境の門である。その外は、俗なる世界であると同時に、それは邪悪の世界でもあり、恐ろしい鬼の出現する世界であった。だから、当初には、毎年、6月と12月の晦日に、武官百官が朱雀門に出てきて大祓の儀式を行ったのである。その大祓とは、聖なる大内裏から邪悪なるものを追い払う神事であり、いうなれば恐ろしい鬼を追い払う儀式であったのである。
 平安京の起点は船岡山である。川の場合もそうであるが、京都では、船岡山から下流を見て左・右をいう。したがって、京都は、朱雀大路の東が左京、西が右京である。京都盆地を貫流する鴨川が関係しているからか、或いは運河としての堀川が関係しているからか、さらには 神仙苑が朱雀大路の東側に広がっているからなのかどうか、京の都は、左京が栄え、右京はそれほど栄えないままずっときた。右京を根城に朱雀門には鬼が棲ん でいたらしい。
 宇治の平等院に「葉二(はふたつ)」という名笛が残っている。元は朱雀門の鬼の笛であったところから、別名「朱雀門の鬼の笛」という。その笛を吹ける者がいなかったので、天皇の命により、浄蔵という笛の名手が、月のあかるい夜、朱雀門にきてその「葉二」を吹いた。 そうすると、朱雀門の上から、鬼が大きな声、でそれを褒め称えたという。
 朱雀門の鬼は、「羅城門の鬼」や「一条戻り橋の鬼」などとは大分様子が違うようである。朱雀門の鬼は、名笛を持っていたり、名笛の奏でる音曲の良し悪しが判った。籟は、竹の笛の意。天が奏でる笛の音・天籟を聞くことができたし、地の奏でる笛の音・地籟を聞くことができた。人籟を聞くことも当然できたのであろう。ただ単に邪悪の世界に棲むだけでなく、聖なる世界をかいま見ることができたので、宇宙の真理というものを、そして又、当然、この世の真理というものを会得していたのではなかろうか。
 日本の鬼は、邪悪なるもののすべて、象徴的には、自然界の猛威を表しているといっても良いかも知れない。そういう言い方からすれば、聖なるもの、それは自然の恵みである。朱雀門の鬼は、邪悪なるものと聖なるものとの境に棲む。それは、邪悪であるとともに聖である。 言うなれば、朱雀門の鬼は、自然との「共生」の、まさに象徴的存在であるのかも知れない。

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