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2014年3月28日 (金)

正義の偽装(その29天皇と怨霊2)

正義の偽装(その29天皇と怨霊2)
第2章第2節 私の天皇論
2、天皇と怨霊(2)・・・天皇の周辺にも血生臭い出来事があった

さて、平安時代と言えば、どうしても「早良親王の怨霊」について話さなければならない。
平安遷都は桓武天皇によってなされた。その弟が早良親王である。英明の誉れ高く11歳で出家、大安寺の僧となったが、還俗し、桓武天皇が即位するや皇太子となった。 
桓武天皇は、御承知のように、社会、政治、宗教など諸般の改革を求め、都を奈良から長岡に移すことにした。
これは我が国における今の事情と良く似ているかもしれない。けだし、何ごとも古くなるとそれなりに垢がたまって、もはや新しい時代の流れについていけなくなるようだ。革袋をかえないと中身は変わらないのかもしれない。
その長岡遷都の責任者である桓武天皇の寵臣・藤原種継(たねつぐ)が殺された。犯人として、大伴継人(つぐひと)と大伴竹良(たけら)が捕まった が、その背後に早良親王がいるとして、早良親王は罪を厳しく責められた。濡れ衣を着せられたとの説もあるがすべて闇の中だ。ともかく、早良親王は、乙訓寺 に幽閉された後、淡路に流罪となり、その船の中で憤死する。
 以後、早良親王の霊は様々な祟りをする。すなわち、皇太子安殿親王(あてのしんのう)の長患いが打ち続くし、暴風雨、地震、旱魃(かんばつ)、虫 害、寒冷による凶作、そこから生じる悪疫の流行・・・・・、それらすべての原因は、早良親王の怨霊の祟りであると考えられた。当時の陰陽師(おんみょう じ)が占卜(せんぼく)によって断定したのである。

桓武天皇は遂に延暦13年(794)、造営中であった長岡京の地を捨てて都を京都に移した。京都は、陰陽師(おんみょうじ)に言わせれば、風水にか なったいわゆる四神相応の(しじんそうおう)の地であり、桓武天皇はそこへ逃げ籠ったのである。そこでまず必要とされるのは早良親王の鎮魂であった。鎮魂 のための諡(おくりな)・崇導天皇が与えられ、崇導神社が建てられた。
その崇導神社において毎年5月5日に行われる大祭、これが珍しい祭りで、「早良親王の怨霊が行く」のである。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/reiyuku.html

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