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2014年3月21日 (金)

浄蔵(2)

浄蔵(2)

八坂界隈の景観の象徴となっている法観寺(ほうかんじ)の五重塔(46m)は、八坂の塔とも呼ばれている。

http://www.youtube.com/watch?v=-QPNFTpZbcI

http://everkyoto.web.fc2.com/report175.html

飛鳥時代、592年(589年とも)に聖徳太子によるともいわれる。如意輪観音の夢告により、五重塔を建て仏舎利を納めたという。平安時代の頃、法観寺(ほうかんじ)は官寺七カ寺の一つとして、官寺の東寺、西寺などに準ずる扱いを受けていた。(『延喜式』)
飛鳥時代、聖徳太子は、難波に四天王寺を建立するために、用材を山城愛宕郡に探し求めた。その時、この地が勝地として五重塔の宝塔を建て、仏舎利を安置し、法観寺(八坂寺)と称したという。(『山城州東山法観寺佛舎利塔記』)

平安時代の初め、この八坂の塔が西へ傾くということがあった。人々は凶事として恐れた。時の天皇は浄蔵を呼びつけ元通りにするのを命じた。当時、浄蔵は八坂の塔のとなりの庚申堂に住んでいた。この時代の僧侶は結婚は許されていなかったが、天皇がその法力が絶えるのをおそれ、浄蔵に対し て結婚させて二男をもうけたということだ。64歳になっていた浄蔵は自分の法力をしばらく使っていなかったために、二人の子供を膝に乗せ、手始めとして鴨 川の水を祈祷によって逆流させたとある。そして自分の法力が衰えていないことを知ると、八坂の塔に向かって祈りはじめた。天空にわかにくもり、一陣の風が吹いたかと思うと塔はゆらゆらと揺れ、元の形におさまったという。なんと不思議な話であるが、事実は、秦氏の技術陣が修築にあたる際に、その完成を祈って浄蔵が天台密教独特の儀式を行ったということではなかろうか。浄蔵の祈りと秦氏の建設技術がそれを可能にしたということであろう。まあいうなれば二人の合作である。


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