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2014年3月20日 (木)

浄蔵(1)

浄蔵(1)

平安時代というのは、魑魅魍魎の蠢く、妖怪の徘徊する時代であり、怨霊の暴れまくる時代であった。
私はまえに「評判の妖怪通り」を紹介したが、これは京都ならではの歴史にあやかっての町づくりであって実に面白い。その「一条通り」を東に行くと、魔界・「一条戻り橋」がある。近くに安部清明神社と白峰神社がある。その「一条戻り橋」については、かって私の書いたホームページがあるので、まずそれを紹介しておきたい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/modoriba.pdf


戻り橋の名前の起こりは、浄蔵の不思議な話しに端を発する。その他、浄蔵には不思議な話しがいくつかあるが、その代表的な逸話を紹介しよう。

京都の人なら「一条戻橋」の話とともによく知っている話に「八坂の塔」の話がある。一度傾いた八坂の塔が浄蔵の呪力で元に戻ったという話である。しかし、「八坂の塔」の話を再度調べ始めて、まさか秦氏と密接な関係があるとは思いもよらなかった。そこで、「八坂の塔」の話は秦氏の話から始めたいと思う。私は、今までにいろいろと秦氏のことを書いてきた。私のホームページで検索していただくと、秦氏の関連ページがわんさと出てくるが、そのうち重要なものをまず紹介しておきたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai06.pdf

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai08.pdf

秦氏は、わが国の歴史上まことに重要な氏族で、蘇我氏が横暴を極めていた頃、政治家として天皇の側近から身を引いてから、その一族は芸能面や技術面で大活躍をするのだが、桓武天皇が都(平安京)の建設をする頃にはすでに京都にいて、その土木建築技術を駆使して、平安京の建設に力を尽くすのである。日本で一番多い神社は「稲荷神社」だが、その発祥の地が秦氏の本拠地京都の伏見稲荷神社であり、この神社を創建したのが「秦伊呂具(秦鱗)」だ。京都の祇園にある八坂神社も、実際にその建設工事に携わったのは秦氏だと私は考えているが、「弥栄神社」も含めれば、「やさか神社」という名の神社は秦氏ゆかりのところに結構あるようだ。
平安京は秦氏とともに整備されていったと言って決して過言ではないが、その秦氏の菩提寺が現在の八坂庚申堂である。浄蔵は秦氏に頼まれてその八坂庚申堂の住職になっていたのである。浄蔵は僧でありながら、結婚して二人の子供があったが、ずっと晩年まで八坂に住んでいた。八坂庚申堂は「八坂の塔」のすぐ脇にあるので、浄蔵は「八坂の塔」のお守りを天皇から命ぜられていたようだ。あるとき「八坂の塔」に多くの盗賊が忍び込んだが、浄蔵の念力でそれら盗賊は全く動けなくなって、役人に捕縛されたという話が伝わっている。


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