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2014年3月 3日 (月)

正義の偽装(その25第2章第2節2)

正義の偽装(その25)
第2章 天皇
第2節 私の天皇論(2)

1、律令制と天皇の「聖性」の確立・・・藤原不比等の深慮遠望
(2)天皇の「聖性」
藤原不比等は歴史上いちにを争う偉大な政治家である。その藤原不比等の深慮遠謀について、私の力作がある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/yamatai07.pdf
私は、その文書の中で、不比等の功績のうち三つに焦点を当てていろいろと書いた。すなわち、不比等は、阿多隼人の存在を警戒しながらも、彼ら海人族の文化については、その吸収に重大な関心を持って、いろいろと手を打った。その一つは阿多隼人の有する呪力であり、もう一つは天照大神に関する神話と伊勢神宮の創建である。三つ目は、物部一族や秦一族の率いる職能集団の統括である。それらは、上記の文書を読んでいただくとして、ここでは、天照大神について紹介しておきたい。
シャーマニズムは、古モンゴリアンの文化である。日本はその文化の中にある。卑弥呼も台与もシャーマンである。その伝統を復活させたのは,不比等である。不比等は、伊勢神宮をして,天皇の祖神として天照大神を祀ると同時に,天皇をシャーマンにしつらえたのである。これは、卑弥呼や台与の祭祀の復活であって、政治的権力は藤原氏にある。不比等はそれを主張したかったのである。それが、記紀の基本的な姿勢である。不比等は、天皇を前面に押し立てながら、己の権威を保持しようとしたのである。これは、素晴らしい考えであると思う。天皇を支える腹心が権力闘争に明け暮れてはいけない。それは、今も変わりはない。わが国の国是は、あくまでも天皇を中心として、まとまっていく国なのである。そのような国是を作ったのは不比等である。そう意味から、私は,記紀の素晴らしさを高く評価したい。そのような評価をした上で、記紀を分析検討しなければならない。記紀における神話や物語は、大きな歴史的価値を有している。
台与の祭祀と伊勢神宮を中心とする現在の神道とは、基本的な断絶はないのだが、藤原不比等によって、伊勢神宮が建立され、天照大神が誕生した。これは大改革と言って良いほどの素晴らしい変革であり、日本の国是がここに定まった。では、不比等によって誕生した天照大神について、その神格を説明したい。
天照大神とは、そもそもどのような神か? その神格を明らかにしなければならない。これはもう哲学の問題だ。記紀における神話をもとに、哲学的思考を重ねなければならない。それは、どうもヒルコとの対比の中で、考えねばならないようだ。その点については、河合隼雄がいちばん核心部分に迫っているようだ。
http://iwai-kuniomi.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-f2d4.html

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