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2014年3月11日 (火)

平将門の挫折(5)

平将門の挫折 5
4、後日談のつづき

話を京都に戻そう。先ほども申し上げたように、 当時「市聖」とあがめられていた高僧の空也上人は京の都において、将門の首が加茂川の河原に晒される前にいったん留め置かれた地に堂を建て手厚く供養した。そのことからその地はいつしか「空也供養の道場」と呼ばれるようになり、後にこれが「クウヤクヨウ」がなまって「コウヤク」、細い路地に位置することから「膏薬の辻子(こうやくのずし)」として地名になったと伝わっている。私がその祠にお参りしたときは、全く小さな祠があるだけで、ほかには全く何もなかった。

しかし、現在は、神田神宮も神田明神と名を改め、京都将門塚保存会もでき、将門の御霊(みたま)が手厚く祀られている。以下に、詳しく紹介するが、とても良いところであるので、皆さんもぜひ出かけてもらいたい。
場所は京都市下京区綾小路通西洞院東入新釜座町728である。この地図では神田神宮となっているが、現在は、京都神田明神である。
では、京都神田明神のホームページをご紹介申し上げよう。

http://blogs.yahoo.co.jp/sunnyback2sd/10772000.html?from=relatedCat


このホームペジにも出てくるが、京都神田明神では、平将門について次のように説明している。

平将門公(たいらのまさかどこう)
武士の先駆者「兵」として古代に東国を治めた人物。下総国(茨城県)に生まれ、長じて上京し時の左大臣・藤原忠平に仕えました。重要文化財「将門記」によると、将門公は従四位下で鎮守将軍の父・良将の死により東国に戻りましたが、叔父・平良兼との不和を機に叔父たちと反目するようになり、次々と戦いを仕掛けられその度ごとに勝ち続けました。将門公は騎射に優れ合戦の故実に通じ名誉を重んじる「兵の道」に生きたお方でした。苦境にも挫けず戦い、その一方で頼られると誰であろうと助け、たとえ敵であろうとも女性には優しく接するという「弱気を助け、強気を挫く」義侠心にあふれる人物でした。天慶二年(939)、常陸国の国庁に在地豪族の免罪を申し入れ和談による平和的解決を試みましたが受け入れられず、やむなく合戦となり国府を陥れました。以降、下野、上野、武蔵、相模などの国庁を手中に収め、さらに八幡大神と菅原道真公の霊より東国を治める「新皇」の称号を受けました。これ以降、将門公は謀反人とされ国家への反乱とされました。朝廷は将門公の反乱に恐れおののき、諸社寺に調伏祈祷を命じ、藤原秀郷と将門公の親戚・平貞盛を追捕凶賊使に任命し東国へ派遣しました。そして天慶三年二月十四日、下総国における秀郷・貞盛軍との壮絶な戦いの末、将門公は神の鏑矢にあたり志半ばで息絶えました。将門公の首級は京へ送られこの地で晒された後、所縁の者が東国へ持ち帰り葬り将門塚を築かれ、延慶二年(1309)には東京・神田明神へ合祀されました。

京都将門塚保存会


この説明文は簡単明瞭で実に良くできてはいるが、少し補足説明をしておきたい。

先に、「平将門の挫折 2、坂東武士の期待」の所で説明したように、平将門の新皇即位式に登場する八幡大菩薩は、ご承知のように源氏の守護神であるが、その八幡大菩薩が坂東武士の心を掴んで行くのである。私は、八幡大菩薩のご加護がなければ、源頼朝の鎌倉幕府創設はなかったと考えている。しかし、源頼朝は坂東武士の心を十分理解していたとは言えないようだ。平清盛も貴族に対する憧(あこが)れがあったけれど、源頼朝も自分の娘・大姫を貴族に嫁がせようと画策するなど、貴族に対する憧(あこが)れがあったようだ。この佐伯啓思の「正義の偽装」について書いているこの一連のシリーズでは、天皇の権威と政治の権力とは分離されるべきであるという思想に立っている。歴史は紆余曲折をしながら、現在の理想的な「象徴天皇」を私たちは戴いているのだが、その象徴天皇を生み出したのは北条泰時である。したがって、私の考えでは、「坂東武士の期待」は平将門が最初にそれを受け、北条泰時がそれを実現したのである。だとすれば、平将門の乱は、日本の理想的な統治形態を生み出すきっかけになったのであり、平将門を逆賊だという謂れはない。平将門の乱は、義のための戦いであったのである。それは貴族どもの腐敗対する戦いであり、政治という権力と天皇の権威とを分離する戦いでもあったのだ。

腐敗しきった貴族どもの政治の権力によって、首を切られ梟首(きゅうしゅ)にされた平将門の怒りは当然の怒りである。そのことは私たちは十分理解しておかなければならない。京都将門塚保存会の人々に敬意と感謝の念を申し上げながら、今こそ平将門に対する歴史的評価を正さなければならないと思う次第である。

では、最後に、平将門に対する崇敬の念を抱きながら、平将門をお祀りしてある東京は神田明神の祭り「神田祭り」の様子をご紹介しておきたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/kandama1.html

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